2025/6/27 イエスのみ心 お説教

 

[6月27日/イエスのみ心]

[お説教]

  「イエスよ、わたしの心を、あなたのみ心に似たものにしてください。」

この祈りは、前教皇フランシスコが、祖母から教えられた祈りとして、紹介してくださった祈りです。

私たちは、今、この祈りを、熱心にささげるように求められています。

 

イエスのみ心とは、イエスの心臓のことです。

いのちが苦しんでいるのを知った時、その苦しみを感じる心臓です。

傷ついているいのちの痛みを感じる心臓です。

感じるだけでなく、いっしょに傷つく心臓です。

そして、すべてのいのちを愛する時、このみ心が熱くなるのです。炎が燃え上がるよう熱くなるのです。イエスのみ心とは、イエスの、生きている愛のことなのです。

 

私たちも皆、心臓が与えられています。

生きているとは、心臓が動いていることです。だから、心臓を大切にします。

しかし、私たちの心臓は、本当に動いているでしょうか。まわりのいのちが苦しんでいるのを知って、たくさんの人が傷つき苦しんでいるのを知って、心臓に痛みを感じているでしょうか。今日の世界の状況は、私たちの心臓に激痛をもたらすような状況です。

 

そして、私たちの心臓は、熱くなっているでしょうか。熱い思いをもって、まわりのいのちを愛しているでしょうか。熱い思いをもって、まわりの人と関わろうとしているでしょう か。

自分の心臓だけを守ることだけに必死になって、まわりの人も皆、心臓を持っていることを忘れていないでしょうか。自分の身を守ることだけに必死になって、まわりの人の心臓が傷ついていても、その痛みを感じないようにしていないでしょうか。

 

ここで、イエスのみ心の祭日である今日、私たち教会が、特に今、考え、取り組まなければならないことをお伝えしたいと思います。

教会は今、性虐待やハラスメントといった暴力のない教会をめざしています。

虐待やハラスメントといった暴力は、それを受けた人に大きな傷を残します。

その傷の痛みは、多くの場合、生涯続きます。

 

力を持っている者が、力を持たない、抵抗できない人に及ぼす暴力は、取り返しのつかない傷をもたらし、暴力を受けた人は、生きることが困難になります。心臓が止まり そうになります。愛を感じることができない心臓になってしまうことがあります。

私たち教会は、今、この傷の痛みを感じるように求められています。

自分の心臓だけを守るために、暴力を振るわないということではありません。

自分の身を守るために、暴力に加担しないということではありません。

私たち教会の皆が、安心して、愛の炎を燃え立たせることができる心臓を持ち続けることができるために、あらゆる暴力から解放されたいのです。そして、教会という枠を越えて、日々出会う人と、愛の炎を分かち合っていきたいのです。

 

「イエスよ、わたしの心を、あなたのみ心に似たものにしてください。」

この祈りを、これから、ささげ続けたいと思います。

私たち教会の心が、熱い愛に満たされることを願ってささげ続けたいと思います。

そして、私たちの心臓の熱が、冷めている心臓を温めることができるように、私たちの心臓の愛の炎を、ますます燃え立たせたいと思います。

この世界では、たくさんの心臓が、冷めてしまっています。多くの人は、心臓が冷めていても、生きていけると思い込んでいます。

私たち教会は、そうは思っていません。心臓は、熱く燃えている時、本当に生きている。熱く燃えて、愛という血液を送り出す時、生きている。そう確信しています。

 

イエスよ、私の心を、私たち教会の心を、世界中の人々の心を、あなたの、熱い愛の炎に燃えている、み心に似たものにしてください。

暴力を引き起こす心ではなく、苦しみや痛みを、深く感じている、あなたのみ心そのものに変えてください。

 

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