[説教]
ことばの祭儀と神父様のお話
6月28日/年間第13主日
6月21日/年間第12主日
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6月14日/年間第11主日
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6月7日/キリストの聖体
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5月31日/三位一体の主日
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5月24日/聖霊降臨の主日
[説教]
聖霊降臨の主日である今日、私たち教会は、教会の誕生日を祝うために、こうして集まっています。そして、教会にいのちを与え続けている聖霊が、これからも、教会を超えて、あらゆるいのちを生かし続けてくださるように、心を一つにして願い求めています。
「聖霊を世界にあまねく注いでください」と祈っています。
今日の第一朗読である、「使徒たちの宣教」は、聖霊降臨の出来事を伝えていますが、「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっている」ということばで始まっています。聖霊降臨とは、主イエスの弟子たちが「ほかの国々の言葉で語りだす」ことだけではありません。「一同が一つになって集まる」ことこそが、聖霊の、最も大切な働きなのです。私たちが、さまざまな違いを超えて、こうして集まる時、聖霊が力強く働いているのです。
そして、私たちは今日、ただ集まっているのではありません。
「イエスは主である」と宣言するために集まっています。
使徒パウロがはっきりと言っているように、「聖霊によらなければ」、この信仰宣言はできないのです。
私たちは、毎日の生活の中で、何度も、「アーメン」と言います。この言葉は、イエスが主であることへの、心からの同意の言葉なのです。この言葉が言えることこそ、聖霊の働きなのです。「アーメン」という言葉が出る時、聖霊降臨という救いの出来事が起こっているのです。
聖霊降臨の主日である今日、私たちは、「アーメン」と言えることに感謝しましょう。
さまざまな理由で、この言葉を声に出せないこともあります。私たちは、たとえ声に出せなくても、心の中で、喜んで叫ぶことができます。心の中だからこそ、まわりを気にせず、喜んで、叫ぶことができます。この叫びこそ、聖霊降臨なのです。
聖霊降臨は、特別な出来事ではないのです。主イエスを信じている、だれもが、いつでも、どこでも、体験している出来事なのです。
「アーメン」と言えることこそが、奇跡なのです。
今日の第一朗読は、聖霊降臨の出来事に居あわせた人々の、次の言葉で終わって
います。
「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
聖霊降臨とは、主イエスの弟子たちが、神の救いの業を語り始めることです。
私たち、キリストの弟子たちが福音を宣べ伝える時、聖霊が働いているのです。
そして、この福音を聞く人がいるのです。福音を、救いのことばとして、喜んで受け入れる人がいるのです。人が福音を聞く時も、聖霊が働いています。
使徒たちの宣教は、「わたしたちの言葉で聞こうとは」と伝えています。聖霊は、人々が受け入れやすい方法で、福音を語ります。主の弟子たちに、福音を語らせます。
主の弟子である私たちは、聖霊が語らせるままに、福音を宣べ伝えたいと思います。そのために、聖霊の助けを願いたいと思います。
福音宣教のために聖霊の助けを祈り求めている時、私たちは、聖霊降臨を体験して
いるのです。祈れることこそが、聖霊の働きなのです。願いがかなえられることではありません。願いがかなえられなくても、祈り続けられることが、聖霊の、最も力強い働きなのです。
福音宣教は、個人で行うことではありません。共同体が行うことです。
使徒パウロは今日、「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです」
と述べています。私たち一人一人が、聖霊の助けを求めて、福音宣教を続ける時、一人一人の行いは違っていても、対立しているように見えても、私たちは、共同体として、福音を宣べ伝えていることになります。
だから、聖霊の働きを信じて、互いに感謝し合いましょう。感謝し合えることは、聖霊の働きなのです。私たちを聖なるものとする、愛の霊の働きです。
今日の福音で、弟子たちは、復活された主イエスから、聖霊を与えられます。
私たちは、主から、「聖霊を受ける」時、この世界の罪を「赦す」ことができます。
私たちは、聖霊の働きを受けて、この世界が、いのちを傷つける悪から解放されるように祈ります。いのちを傷つける悪こそが、罪です。すべてのいのちが罪から解放され、ともに生きることができるよう、祈り続けます。あきらめずに祈り続けます。
祈るだけでなく、すべてのいのちがともに生きる道を探し求めます。聖霊にうながされて、精一杯努力します。
「あなたがたに平和があるように」という福音を分かち合いながら、すべてのいのちが生きることができる平和の実現をめざして、ともに歩んでいきます。
キリストの平和を、この世界で分かち合いながら、ともに歩む時、私たち教会は、生きています。教会は、誕生し続けます。
復活された主の愛を信じて、日々、聖霊降臨の恵みによって、ともに歩んでいきましょう。
5月17日/主の昇天
[説教]
「主の昇天」の祭日である今日、私たちは、復活された主イエスが、神の右の座に着かれ、すべてのいのちを治めていることを祝っています。
私たちは今日、まことの神である主イエスを、心を込めて、ともに礼拝しています。
使徒言行録が伝えている通り、主イエスは、「天に上げられ」ました。
弟子たちは、ただ、「天を見つめてい」ました。私たちも今日、天を見つめたいと思います。
私たちは、地上のことに心を奪われて、天を見つめることができなくなっています。 天を見つめるためには、足を止めなければなりません。スマホやコンピュータの画面から目を離さなければなりません。だれかの悪口を言うのをやめなければなりません。忙しい日常から、一時でも離れなければなりません。そして、外に出なければなりません。天を見つめて、神の右の座におられる主を探し求める時、私たちは祈っていることになり、心にキリストの平和が訪れるのです。
そして、主イエスが、神の右の座に着いて治めておられるということは、御父と御子が一つになって、すべてのいのちを愛しておられるということです。
神は、地上から離れたところで、私たちを愛しておられるのです。私たちが、この地上でどのように生きているかに関係なく、私たちを愛しておられるのです。
天からの愛は、無条件の愛なのです。私たちは、この無条件の愛を信じているでしょうか。こんな私を、神が愛されるはずがない。私たちはよく、神の愛を信じられなくなります。そんな時は、外に出て、天を見つめたいと思います。天を見つめながら、すべてのいのちを、無条件で愛しておられる神に感謝をささげたいと思います。神の愛への信仰を深めたいと思います。地上の私たちの愛が不完全であることを、謙虚に認め、天の神の愛に、すべてをゆだねたいと思います。
今日の福音は、弟子たちが、「ガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した」と伝えています。
山は、神と人とが出会うところです。山は、キリストの弟子となった私たちが、まことの神であるキリストと出会うところです。そこで、私たちは、主のみことばと主のいのちを分かち合います。今、こうして祝っているミサが、私たちが登る山です。
ミサは、主イエスが招いてくださる礼拝です。私たちがこうして集まっていることは、 あたりまえのことではありません。共同体が集まれることは、大きな恵みです。共同体が集まって、主を礼拝することは、私たちにとって、主の昇天の体験です。日常生活から離れたところで主に出会うことこそが、主の昇天です。
そして、弟子たちの中には、「疑う者もいた」と伝えられています。
私たちは、神を信じることができなくなる時があります。自分の信仰に自信を失い、教会に行けなくなる時があります。今日の福音は、そんな時も、主に会いに来るように、そんな時こそ、共同体の集まりに加わるように励ましています。
地上で生きている私たちは、完全な信仰を持つことなどできません。だから、主のもとに来て、信仰を深めていただくのです。不完全な信仰しか持てないからこそ、主のもとに集まること、これこそが、主の昇天という恵みではないでしょうか。
そして、主の昇天とは、主イエスの福音宣教の歩みを、主の弟子である私たちが続けていくことであると言えます。主の昇天とは、福音宣教が続いていくことなのです。
主は今日、こうして集まっている私たちに、「すべての民をわたしの弟子にしなさい」と命じられます。私たちは、毎日の生活の中で、神の愛で、まわりの人を愛したいと願っています。すべての人が、神の愛の中で生きることができるように努力しています。
主の弟子である私たちは、すべてのいのちが、神の愛の中に浸され、幸せになるようにと祈りながら、毎日を生きています。
こうした私たちの生き方が、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という福音の実現となりますように、ともに祈りましょう。
今月は、聖母月です。聖母マリアが、私たちとともに祈ってくださいますよう、心から願いましょう。
「神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。」
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6月28日/年間第13主日
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