2025/10/19 年間第29主日 ことばの祭儀、お説教

 

[10月19日/年間29主日]


 [ことばの祭儀]
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[お説教]
主イエスは今日、私たちに、「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを」思い起こさせてくださいます。 
私たちが、気を落とさずに祈り続ける時、そこに神の国が来ているのです。どのような悲惨な状況であっても、そこに祈る人がいる限り、神の国が始まっているのです。 
希望の国としての神の国が実現しているのです。そして、今日は、「世界宣教の日」です。
この日のための教皇メッセージの中で、教皇フランシスコは、次のように述べています。
 
「祈ることによって、神がわたしたちの内にともされた希望の炎を燃やし続けることができます。それは大きな炎となって、祈りに促された具体的な行動や姿勢によっても、周りにいるすべての人を照らし温めることができるでしょう。」
 
しかし、私たちは、ただ祈れば良いということではありません。 
今日のたとえ話に登場する「やもめ」は、熱心に祈っています。 
「相手を裁いて、わたしを守ってください」と願っています。この祈りは、やもめの個人的な願いではありません。 
聖書に現れる「やもめ」は、社会の中で弱い立場に置かれた人を表しています。 
ですから、やもめを「守る」ということは、正義を実現するということです。やもめを苦しめる相手を「裁く」ということは、あらゆる不正を許さないということです。 
そう考える時、やもめの祈りは、社会の不正を取り除き、正義の実現を求める祈りということになります。私たちも、個人的な願いだけでなく、この世界に、真の正義が実現することを願うように求められているのです。 

たとえ話の「不正な裁判官」は、やもめの訴えに耳を傾けなければ、「さんざんな目に遭わ」されることに気づきます。 
さんざんな目とは、やもめがもたらす災難ではありません。やもめの願いである正義が実現していないことによる災難です。 
私たちが正義の実現を求めるのは、貧しい人や苦しんでいる人がかわいそうだからではありません。不正がはびこっている社会の中で、自分の幸せだけを考えていることこそが、最も不幸なことだからです。正義を求める心を失っていることこそが、取り除かなければならない貧困なのです。 
 
真の正義が実現しなければ、だれも幸せになれないのです。不正に満ちた、この世界で、不正に加担しなければ生きていけないと思わされていることこそが、「さんざんな目に遭わ」されているということなのです。 
だから、私たちは、正義が実現していないことによる貧しさが、この世界からなくなるように、気を落とさずに、祈り続けるように励まされているのです。真の正義がもたらす豊かさを求めるように、主イエスは今日、私たちを励ましておられるのです。 

真の豊かさ、それは、生きとし生けるものすべてが幸せであって欲しいと、心から願える心を持っていることです。自分が貧しくなっても、まわりの人が支えてくれるという安心感です。自分も、まわりの人を支えていると思えるということです。自分が支えてもらう時、何も疑わず、心から感謝できるということです。そして、安心して貧しくなることができるということです。私たちは皆、貧しくなっていきます。貧しくなることで、支え合うようになります。皆で貧しくなっていくことが、支え合いの豊かさとなっていきますように、気を落とさずに絶えず祈りたいと思います。 

「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見い出すだろうか。」 
主イエスが残された、今日の福音の最後の言葉です。私たちは今、何を信じるように求められているのでしょうか。主を信じるとは、主の福音を信じるとは、どういうことなのでしょうか。ここで、先々週に発表された、教皇レオ十四世の使徒的勧告『わたしはあなたを愛した』の一節を分かち合いたいと思います。 

「主への愛は、貧しい人々への愛と一つです。「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」(マタイ26章11節)と語られるイエスはまた、弟子たちにこう約束されます。
「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28章20節)。私たちはさらに、主の次の言葉も思い出します。「この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである」(マタイ25章40節)。これは単なる人間的な優しさのことではなく、啓示の一つなのです。―へりくだった人々、力のない人々と関わることこそ、歴史の主と出会う根本的な道なのです。貧しい人々の中で、主は今も、私たちに語りかけ続けておられます。」 

主イエスは今日、私たちが、この「啓示」を信じて、この地上で生きていくよう招いておられるのではないでしょうか。 
主が示された愛を信じ、生きることで、「世界宣教の日」である今日、私たちに与えられている、使徒パウロの励ましに応えたいと思います。 

「御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい。」

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