[8月10日/年間第19主日]
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[お説教]
主イエスは今日、主に呼ばれて集まっている私たちに、次のように語りかけて、私たち一人一人を励ましておられます。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」
平和旬間を歩んでいる私たちにとって、「神の国」とは、真の平和です。私たちは、この平和を、主イエスからいただいています。私たちは、ミサやことばの祭儀の時、「主の平和」と言って、互いにあいさつをします。このあいさつによって、私たちは、神から与えられた平和を分かち合います。私たちが真の平和をいただいているということを、確認し合います。そして、この平和を、毎日の生活の中で、宣べ伝えていこうと励まし合います。
主イエスが言われるように、私たちは、「小さな群れ」です。お金も力もありません。小さな愛の業しかできません。今日の福音で、「ともし火」という言葉が出てきますが、ともし火とは、私たちが実行している、小さな愛の業です。小さな愛の業を実行している私たちが、ともし火です。小さな群れですから、小さなともし火しかありません。主は今日、私たちに、「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」と言っておられます。「自分ができる小さな愛の業で、まわりの人に仕えなさい」という意味です。小さな愛の業で、喜んで、互いに仕え合うことが、神の国であり、私たちが求めている平和であると言えます。
今日の福音のたとえ話には、「僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」主人が登場します。この主人は、仕えておられる主イエスのことです。主こそ、私たちに、すべてのいのちに仕えておられる方なのです。私たちが、まわりに仕えている時、ともに仕えてくださる方なのです。私たちが仕える時、キリストが仕えておられるのです。教会は、キリストの生きている姿です。私たち教会は、今、この世界で、すべてのいのちに仕えるキリストとなるように招かれているのです。実際、仕えるキリストとなっているのです。なろうとして、日々祈り、努力しているのです。キリストのように仕えることで、真の平和を証ししているのです。
今日の福音で、主イエスは、「恐れるな」と言っておられます。恐れがある限り、真の平和は訪れません。恐れがあるところに、神の国は実現していません。人は、恐れを抱く時、自分を守ろうとするからです。自分を守るために、壁を築き、武器を手にするからです。壁や武器は、私たちを恐れから解放しません。さらに高い壁、さらに強力な武器をもたらし、恐れが大きくなっていくだけです。そして、壁に遮られて、ともし火は見えなくなり、武器を持つ手は、ともし火を持てなくなります。壁や武器は、私たちから、愛であるともし火を奪います。恐れがある限り、愛は成り立ちません。核兵器を始めとする大量破壊兵器は、人間の恐れが作り出したものです。恐れから解放されるために、恐れを大きくしているのです。
平和旬間を過ごしている私たちは、この世界から、愛を妨げる壁が取り除かれ、あらゆる武器がなくなることを願っています。一人一人が安心して、愛のともし火をともせる日が、必ず来るという希望を抱いて、希望の巡礼者の道を歩んでいます。そして、2021年に始まったシノドスの歩みも続いています。シノドスとは、神の国の完成、真の平和を目指して、ともに歩むことです。私たちは、この歩みに加わる人が増えていくことを望んでいます。小さな群れが、シノドスの群れになるという希望を持っています。
教皇レオ14世は、今年の5月8日に、最初の祝福を祈った時、次のように述べています。「わたしたちはシノドス的な教会になることを望んでいます。それは、道を歩む教会、常に平和を求め、常に愛の業を求め、とくに苦しむ人に常に寄り添うことを求める教会です。」常に愛と平和を求めて、ともに歩んでいきましょう。一人一人のともし火が消えないように、大切に守り合いながら、ゆっくりと歩んでいきましょう。神の愛に希望を置いて、隣人の愛を信頼して、互いの歩みを気遣いながら、一歩一歩、歩んでいきましょう。