2025/8/17 年間第20主日 ことばの祭儀、お説教

 

[8月17日/年間第20主日]


 [ことばの祭儀]
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[お説教]

教皇フランシスコは、今年の聖年についての文書、「希望は欺かない」の中で、次のように述べています。「希望の最初のしるしは、世界の平和といいうるものです。世界は今また、戦争という惨劇に沈んでいます。過去の惨劇を忘れがちな人類は、おびただしい人々が暴力の蛮行によって虐げられるさまを目の当たりにする、新たな、そして困難な試練にさらされています。この人たちに、どんな苦しみがさらに必要だというのでしょうか。」

フランシスコ教皇のこの言葉は、今日の福音の、主イエスの言葉と重なります。「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、どんなに苦しむだろう。」

主イエスによって投じられた火とは、私たちの心を燃え立たせる火です。どのような困難があっても、世界の平和という希望を失わせない火です。すべての人と平和を分かち合いたいという愛へと駆り立てる火です。世界の平和は必ず実現すると信じる続けさせる火です。この平和の火は、平和旬間に燃やせば良いという火ではありません。主は、この火をいつも燃やし続けるように求めておられるのです。そして、この火を、私たち一人一人の心に投じ続けておられるのです。

平和の火を燃やし続けるために、私たちは過去を忘れないようにしたいと思います。過去のことは忘れて、未来に向かって、前向きに生きていこう。過去のことをあれこれ言っても過去を変えることなどできないのだから、これからのことだけを考えよう。私たちは、このような思いに駆られることがあります。しかし、過去を忘れて、未来を築いていくことはできません。あまりにも多くの人に苦しみをもたらした過去の惨劇を忘れて、平和な未来を望むことはできません。過去の惨劇を知ってこそ、心から、同じ惨劇を繰り返してはならないと思えるのです。多くの人が苦しんだことを知ってこそ、これ以上苦しむ人が出ないでほしいと、本当に願うことができるのです。これ以上の苦しみは必要ないという熱い思いがこみ上げるのです。

私たちは、平和の火を燃やし続けるために、今、この世界で苦しんでいる人々のことを忘れないようにしたいと思います。今、この世界では、自分さえ、自分の身内さえ、自分の国さえ平和であればよいという思いが広がっています。私たちは、自分たちだけの平和を守ろうとする時、自分たちに属さない人のことに無関心になります。自分たちに入っていない人の苦しみは、自分たちには関係がないこととして、無視され、忘れ去られます。主イエスは今日の福音で、はっきりと、ご自分が、「地上に平和をもたらすために来た」のではないと言われます。ここで言われている「平和」とは、自分たちだけの平和のことであると言えます。主は、「分裂」という言葉を用いて、こうした、自己中心的な平和に対して挑戦されます。自分たちだけの平和が、分裂をもたらし、多くの人を苦しめていることを思い起こさせます。実際、自分たちだけの平和を守ることが、世界の平和を実現困難にしているのです。平和を守るためという理由で始められた戦争が、多くの人から、平和という希望を奪っているのです。

私たちは、ただ忘れないということで満足できません。愛の火は、私たちが、苦しんでいる人々とともに苦しむように駆り立てているのです。今日の福音で、主イエスは、「わたしには受けねばならない洗礼がある」と言っておられます。ここで、主が言われる洗礼とは、主の受難と復活です。そして、私たちが受けた洗礼でもあります。私たちにも、受けなければならない洗礼があるのです。「洗礼」は、救いの恵みです。しかし、自分だけが救われる恵みではありません。すべてのいのちが救われるために、ともに苦しむことができるという恵みです。苦しんでいるいのちとともに、すべてのいのちの平和を目指すことができるという恵みです。愛の火に生かされる恵みです。私たちを清める水は、苦しんでいる人の、悲しみの涙なのです。世界の平和が実現した時流される、喜びの涙なのです。

平和旬間は、もう終わっています。しかし、希望の巡礼者である私たちは、世界の平和という希望を抱いて歩み続けていきます。私たちが歩んでいる巡礼の道は、主イエスによって投じられた火によって照らされている道なのです。自分たちだけの平和を守るために、途中で立ちどまる道ではないのです。すべてのいのちの平和という希望に燃えて、日々、ともに歩み続ける道なのです。

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