2025/11/9 ラテラノ教会の献堂 ミサお説教

説教]
「ラテラノ教会の献堂」を記念している今日、私たちは、すべての教会が神にささげられていることを思い起こしています。神にささげられているから、聖堂と呼ばれているのです。
私たちは今日、神にささげられているとはどういうことかについて、祈りのうちに考えるように招かれているのです。
   今日の福音で、主イエスは、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言われます。主は、商売という営みをおとしめているのではありません。商売を行う人がいなければ、私たちは生きていくことができません。商売に従事している人たちは、私たちの生活を支えるために、休むことなく働いています。私たちの求めに、笑顔で応えています。私たちは、商売という尊い仕事をしている人たちに、心から感謝したいと思います。商売の尊さを確認した上で、なぜ、神の家である聖堂で商売をしてはならないのかを考えてみたいと思います。
     商売とは、商品とされたものを売ることです。そして、商品となったものは、お金を払わないと、自分が所有するものにすることができません。私たちのまわりは、さまざまな商品であふれています。かつては商品でなかったものが、商品となっています。例えば、水がそうです。主イエスは、商品に囲まれて生きている私たちに、はっきりと言っておられるのです。「商品にしてはいけないものがある」と。
    神にささげられたものは、神に属するものです。主は、神に属するものを商品とすることを、厳しく禁止しておられるのです。ですから、聖堂は商品ではありません。聖堂の中にあるものも、商品ではありません。聖堂に集まる人びとも、絶対に商品となってはならないのです。
今日の第二朗読で、使徒パウロは、はっきりと宣言されています。「神の神殿は聖なるもの…です。あなたがたはその神殿なのです。」パウロが言っているように、私たち一人一人も、聖なる神殿であり、神にに属するものとされているのです。私たちは皆、聖なるものなのです。私たちのうちに、「神の霊が…住んで」おられるのです。 

 

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