2025/9/21 年間第25主日 ことばの祭儀、お説教

 

[9月21日/年間25主日]


 [ことばの祭儀]
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[お説教]

聖年についての教皇文書、「希望は欺かない」の中で、「聖年は、地上の財は限られた特権的な人たちのためではなく、すべての人のためにあるということを思い起こさせます」と述べられています。そして、私たちは今、「すべてのいのちを守るための月間」を歩んでいます。この地球が、すべてのいのちのためにあることを思い起こして、回心の道を歩んでいます。自分さえ無事に生きることができれば、後はどうなってもかまわないという考えを改めて、どうしたら、すべてのいのちがともに生きることができるかを真剣に考えています。未来のいのちのために、私たちは今、何ができるかを悩んでいます。あまりにも多くのいのちが傷つき、生きることを奪われている現実を目のあたりにして、心を痛めています。自分もいのちを傷つけていることに加担していることを思い起こして、いたたまれない思いに駆られています。いのちの破壊に加担することはできても、いのちを守ることができない、無力な自分に気づかされています。

今日の福音で、主イエスは、「不正な管理人」のたとえ話を分かち合ってくださいます。この人は、金持ちの主人の財産管理をしていましたが、管理の仕事を取り上げられることになります。この人は、金持ちの財産を守る仕事を失おうとしています。仕事を失うことは、不幸なことです。しかし、管理の仕事を失うことは、金持ちが財産を増やすことに加担することから解放されることです。そして、この管理人は、主人に借りのある人たちに、証文を書き直させます。返さなければならない借りの量を減らします。金持ちの下で生きることができなくなっても、生きる希望を失いません。「自分を家に迎えてくれるような者たち」を得て、ともに生きていこうとします。主人に借りのある人たちと、ともに生きていくという道を選びます。自分だけが生き残る道ではなく、まわりの人も生きることができるようにします。ともに生きようとします。主人に返さなければならない量が減ることは、生きることができるようになる、生きやすくなるということです。

そして、今日の福音で、「不正にまみれた富」という言葉が出てきます。たとえ話に登場する金持ちは、多くの財産を持っています。だから、管理人が必要であり、他人に貸すことができます。この財産が、「不正にまみれた富」なのです。この財産が大きくなっていく時、富める者と貧しい者を生み出すからです。富める者が貧しい者を虐げるようになるからです。富める者は、貧しい者から奪うことで、富を蓄えているのです。富める者の、貧しい者への貸付けは、ほとんどの場合、虐げになっているのです。富める者たちは、自分の富を守るために、防衛費という名のもとに無駄遣いをしているのです。だから、主イエスは、「不正でまみれた富で友達を友達を作りなさい」と言われます。それは、「富を、だれかを虐げる手段ではなく、皆がともに生きていくための、神から恵みとして用いなさい」という意味なのです。さらに、主は今日、この地球で生きている私たちが、「自分の仲間に対して、…賢くふるま」うように求めておられます。私たちに与えられた富を、すべてのいのちを守るために用いるよう求めておられます。私たちは、神に仕えるために、すべてのいのちに仕えるために、富を用いるように求められているのです。神によって造られたものはすべて、この地球で、ともに生きていく仲間なのです。希望の巡礼者である私たちは、すべてのいのちという仲間とともに、歩んでいるのです。

教皇フランシスコは、最初に紹介した文書、「希望は欺かない」の中で、心からの願いとして、富裕国に向けて、次のように訴えています。「およそ返済が不可能な国の債務を免除する決断をしてください。それは、寛大さである以上に正義の問題です。…聖書が教えているように、大地は神に属しており、わたしたちは皆、そこに『寄留し、滞在する者』として生きているのです。わたしたちが、世界に平和への道を準備したいと真に望むなら、不正義の根本的な原因を正すよう尽力し、不公正で返済不能な債務を帳消しにし、飢えている人々の空腹を満たすことです。」この願いは、教皇個人の願いではありません。私たち教会の、希望の巡礼者の願いとしなければならないのです。使徒パウロが、「まず第一に勧め」ているように、今日、この願いを「すべての人々のためにささげ」ましょう。

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