2月8日/年間第5主日

 [説教] 

私たち洛東ブロック共同体は今日、「洛東ブロック病者の日」として、こうして集まり、心を込めて、ともにミサをささげています。

 

今日の第二朗読で、使徒パウロは、自分自身の体験を分かち合っています。 

「わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と、はっきりと述べています。 

パウロの言葉は、病気になった者の苦しみを表しています。しかし、パウロの、この苦しみの時は、「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」時でもあったのです。 

「十字架につけられたキリスト」という言葉は、あの十字架刑の時のキリストだけを意味しているのではありません。キリストが、今も、十字架につけられているということを表しています。私たちとともにおられるキリストは、今、十字架につけられているのです。 

パウロは、自分の弱さに押しつぶされようとしていた時に、この「十字架につけられたキリスト」を宣べ伝えていたのです。 

「優れた言葉や知恵を用い」ず、「生きること」によって宣べ伝えたのです。 

「”霊“と力」という言葉の意味は、「キリストによって与えられる生きる力」という意味であると言えます。

パウロは、キリストとともに、十字架につけられていたのです。コリントの教会の人々は、パウロの苦しみながら生きる姿に、「十字架につけられたキリスト」を見い出していたのです。 


私たちも、今日、病気の苦しみの中にある人々の一人一人が、「十字架につけられたキリスト」であることを思い起こしましょう。 

私たち教会は、病者のケアをしています。今日の共同祈願で、病者のために祈っていますが、 だれかのために祈ることは、私たちができるケアの一つです。そして、病気で苦しんでいる人々も、祈りをささげてくれているということを思い出しましょう。 

病気の苦しみの中でささげられる祈りは、十字架の上でささげられる祈りです。私たち教会を支える祈りです。私たちは、病者のために祈っているだけでなく、病者とともに祈っているのです。病気の苦しみの中でささげられる祈りに、心から感謝しながら、ともに祈っているのです。祈ってあげるのではなく、ともに祈るのです。 


病気で苦しんでいる人々は、かわいそうな、あわれみの対象ではありません。ともに福音を宣べ伝える、今、「十字架につけられたキリスト」を宣べ伝えている姉妹兄弟なのです。 

 

私たち教会は、病気で苦しんでいる人々のところに訪れます。訪れて、福音を分かち合ってもらいます。言葉だけによる福音ではなく、生きることによって、苦しむことによって証しされる福音です。

私たちは、他の人々に、この福音を宣べ伝えるのです。 


今日の福音で、主イエスは、私たちが、「地の塩」であり、「世の光」であると宣言しておられます。

私たちは、日々祈る時、この世界の中で塩となります。 

塩は、目立ちませんが、私たちのいのちを支えています。塩がなければ、私たちは生きることができません。祈りも同じです。今の世界で、祈りは目立ちません。熱心な、深い祈りほど、人目につくことはないのです。しかし、多くの人が祈っています。 

ある女性は、次のように言いました。「他の人は、初詣の時しか神社に行かないけど、祈りというのは、時々することだと思うから、私は、月に二、三度、近くの神社に行って祈っています。」 

私は、この言葉に、祈りの大きな力を感じました。教派や宗教の違いを超えて、たくさんの人が祈っているのです。特に、病気で苦しんでいる人々が、病者をケアしている人々が、心からの祈りをささげているのです。だから、さまざまな問題があっても、私たちは、ともに生きることができるのです。

さらに、塩は、食べ物の腐敗を防ぎます。祈りも同じです。世界が間違った方向に進んで行くことを防ぎます。人々を回心させ、心を清めます。死を間近にしている人の祈りは、「生きる」ということが、当たり前のことではなく、聖なる出来事であることを、私たちに悟らせます。 

祈りは、この世界の塩です。この世界のいのちです。私たちが祈り続け限り、この世界は滅びないのです。 


今年の「世界病者の日」の教皇メッセージは、「よいサマリア人」を取り上げています。 

このメッセージでは、サマリア人が、傷ついた人のケアを、自分の力だけでやり抜こうとせず、宿屋の主人の協力を求めていることが注目されています。私たちは、一人一人ばらばらにではなく、共同体全体で、よいサマリア人になるように招かれています。 

洛東ブロックの共同体として、一つになって、よいサマリア人的な共同体になっていきましょう。 

その時、私たちは、この世界の中で光となるのです。私たち洛東ブロック共同体の「立派な行い」を見て、人々は、この世界に神がおられることに気づくのです。私たちの光に照らされて、よいサマリア人のように歩み始め、傷ついた人に気づき、協力して、動けない人のケアに取り組むようになるのです。 


「飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中で輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。」 


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