2025/9/14 十字架称賛 ことばの祭儀、お説教

[9月14日/十字架称賛] 


 [ことばの祭儀]
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十字架称賛 ことばの祭儀










[お説教]

明日、15日は「敬老の日」です。 

日本の教会は、これに合わせて、今日、14日に「祖父母と高齢者のための世界祈願日」を過ごしています。この日のために、毎年、教皇メッセージが出されています。 

今年のテーマは、「希望を失うことのない人は、幸いだ」です。 

今年のメッセージ中で、教皇レオ十四世は、次のように述べています。 


「シラ書は、『希望を失うことのない人は、幸いだ』と述べます。 

これは、わたしたちが人生の中で―とくに人生が長い場合に―、未来に向かうよりも後ろを振り向きがちであることを示唆しています。 

しかし、教皇フランシスコが最後の入院中に書き記したとおり、『わたしたちのからだは弱いものですが、たとえそうであっても、何も、わたしたちが愛し、祈り、自分をささげ、信仰において互いに希望の輝くしるしとなることを妨げることはできません』。わたしたちは、どんな困難も奪うことのできない自由をもっています。すなわち、愛し、祈る自由です。すべての人は、つねに、愛し、祈ることができます。」 


そして、今日は、「十字架称賛」の祝日でもあります。 

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」このみことばは、福音の核心であり、神の愛を、最も簡潔に、はっきりと宣言しています。

親である神は、ご自身以上に大切な存在である独り子を、教会だけではなく、教会を含む、この世界にお与えになったのです。これから与えるということではなく、もうお与えになったのです。この世界が拒否しても、与え続けておられるのです。 


では、「与える」とは、どういうことでしょうか。独り子がこの世に与えられたということは、神の独り子が、いつも、私たちとともにおられるということです。私たちとともにおられる、神の独り子イエスは、今、何をしておられるでしょうか。神の独り子は、今、十字架につけられておられるのです。十字架につけられて、愛し、祈っておられるのです。この世界を愛し、この世界のために祈っておられるのです。特に、苦しんでいるいのちを、この上なく愛し、その苦しみを、深く感じながら、すべてのいのちの、真の幸いを祈っておられるのです。 

 

この世界にある苦しみには、さまざまな暴力がもたらす苦しみがあります。 

戦争、貧困、差別などによってもたらされる苦しみがあります。しかし、信じたくても信じられない苦しみ、愛したくても愛せない苦しみ、他人のために何かしたくても、自分のことしか考えられないという苦しみがあります。 

欲しいものが手に入れば入るほど、便利になればなるほど、大きくなっていく苦しみがあります。十字架につけられている独り子は、すべての苦しみを、ともに苦しんでおられるのです。すべてのいのちが、すべての苦しみから解放されるよう、愛を込めて、熱心に祈っておられるのです。 


愛とは、問題を解決することではありません。何かを与えることでもありません。何かをしてあげることでもありません。 

愛とは、その人のことをいつも思い起こして、ともに生きることです。その人のために祈ることです。何もできないと失望することなく、祈り続けることです。病床にあっても、身体が思い通りに動かなくても、愛することはできます。何も活動ができなくても、まわりの人、すべてのいのちの幸いを、心から願うことこそ、最も大きな愛なのです。 

神の独り子イエスは、十字架上で何もできませんでした。だからこそ、愛し、祈り続けられたのです。 


高齢になるということは、いつも愛し、祈れるようになるということです。 

できなくなることが増えれば増えるほど、祈りの時間が増えるということです。愛する時間が、愛することを願う時間が増えるということです。 

私たちの本当の幸せは、何ができるということではありません。だれかより、上手に、早くできるということでもありません。私たちの本当の幸せとは、主イエスのように、十字架上で、愛し、祈り続けるということなのです。 

教会は、高齢の皆様の、愛と祈りに感謝しています。身体が思い通り動かず、教会に来れなくても、教会のことを大切に思い、祈り続けてくださる皆様に支えられています。 

そして、高齢の皆様こそ、希望の巡礼の道を先頭で歩んでおられます。 

何があっても、どこにいても愛することができるという希望を証ししておられるからです。何もできないと思われる時、祈りという、最もすばらしい愛の業を実行できるという希望を分かち合ってくださるからです。 

高齢の皆様は、教会の、世界の希望です。どうか、私たちの希望の巡礼を、高齢という恵みを分かち合いながら、導いてください。 



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