11月30日/待降節第一主日

〔11月30日/待降節第1主日〕
[説教]
待降節は、希望を新たにする時です。希望を分かち合う時です。
今、希望の巡礼者として歩んでいる私たちにとって、今年の待降節は、特別な時です。私たちの希望、それは、主イエス・キリストです。主イエスが、私たちのところに来られるということです。待降節に、私たちは、主が再び来られるという信仰と希望を深めながら、主がすでに来られたことを祝う、主の降誕祭の準備をします。
主イエスが来られた時、この世界に平和が訪れました。主イエスが再び来られる時、この平和は完全なものとなります。
預言者イザヤは、主がもたらす平和について、次のように預言しています。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。/彼らは剣を打ち直して鋤とし/
槍を打ち直して鎌とする。/国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」
自分のいのちを守るために、武器を手にする人がいなくなり、すべてのいのちを守るために、皆が手を取り合う。そのような平和が、私たちの希望です。
この世界で、私たちの希望が実現することを願いながら、私たちは、希望の巡礼を続けています。待降節は、世界の平和という希望を宣べ伝える時なのです。すでに訪れている平和を、すべてのいのちと分かち合うように努力する時なのです。
主イエスが再び来られ、平和を完全にしてくださるのだから、私たちが努力をする必要はないと思いたくなります。主だけが完全にすることがおできになるのだから、人間が努力しても無駄だと考えたくなります。
しかし、主が再び来られるという希望があるからこそ、私たちは、完全な平和のために努力することができるのです。主が最後に完全にしてくださるからこそ、今の私たちの努力は、決して無駄にならないのです。そして、主が再び来られる時完全になるということは、私たちの行うことが完全ではないということです。希望を持つということは、
謙虚になるということなのです。
さらに、真の平和の本当の価値は、平和のために努力する人にしかわからないのです。努力する人だけが、希望することの喜びを得ることができるのです。

私たちは、真の平和が完成するために、今何をするように励まされているのでしょうか。今日の福音で、主イエスは、「目を覚ましていなさい」と言っておられます。
私たちは、いつも目を覚まして、自分のまわりを、しっかりと見るように励まされているのです。この世界で起こっていることに関心を持つように求められています。そして、平和を妨げていることに加担することを止めるように求められています。真の平和の実現のために行われていることに、積極的に加わるように求められています。
私たちが生きている世界は、わかりにくい、あまりにも複雑な世界です。平和の実現のために、何が良いことで、何が悪いことか、簡単に答えを出すことができません。
だから、一人で考え、すぐに答えを出さず、時間をかけて、皆で、ともに考えたいと思います。さまざまな見方や意見を尊重しながら、ともに考えること。自分の考えと違う考えだからこそ、真剣に耳を傾け、学ぼうとすること。目を覚まして、時間をかけて、
耳の傾け合い、学び合いを続けていくこと。こうしたことが、私たちができる、平和の実現、平和の完成のための努力ではないでしょうか。
主イエスは、さらに言われます。
「あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
主は、世の終わりに、再び来られるだけではありません。私たちの毎日の生活の中に来られます。日々の出来事を通して、この世界の中で出会う人を通して、私たちに語りかけておられます。この語りかけを逃さないように、私たちは用意します。まわりの人に、耳を傾け、心を開き、用意します。
「主よ、語ってください」と祈りながら、用意します。主が再び来られる時、平和が完全になる時を待ち望みながら、主がいつ来られてもよいように用意します。
私たちは、希望の巡礼者です。キリストの平和の完成を信じて、心を開き、耳を傾け合いながら、時間をかけて、ともに歩んでいる巡礼者です。
この世界の中で、真の平和という希望を分かち合いながら歩んでいる、巡礼者です。この歩みを続けていきましょう。この待降節という恵みの時、希望の巡礼の時を歩んでいきましょう。

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