[説教]
私たちは、待降節第2主日である今日、「荒れ野で叫ぶ者の声」に加わるよう招かれています。希望の巡礼者である私たちは、洗礼者ヨハネとともに、荒れ野を歩むように励まされています。
「荒れ野」とは、どのようなところでしょうか。
荒れ野は、悪の力が働いているところです。そして、神がおられるところです。
私たちは、荒れ野にいると、悪の力を感じることができます。そして、悪の力を感じるからこそ、神がともにおられることを願います。そして、神がともにおられるからこそ、自分が罪人であることに気づくことができます。荒れ野にいるから、「悔い改め」ることができます。
荒れ野は、悪の力から解放され、「天の国」を目指す、旅そのものであると言えます。私たちは、荒れ野で、「悔い改めよ。天の国は近づいた」という招きに応えて、旅を続けるように励まされているのです。
天の国は、もう来ています。主イエスは、もう来ておられます。
天の国に、主に近づくのは、私たちなのです。この世界なのです。
私たちが生きている、この世界は、荒れ野でしょうか。
この世界では、強い者が弱い者を虐げています。富んでいる者がますます富んでいき、貧しい者が、ますます貧しくなっています。悪の力が働いており、その意味で、荒れ野です。
しかし、神がともにおられることが、願われているでしょうか。悔い改めが真剣に行われているでしょうか。
今、この世界では、悪の力が、正義のように見なされています。経済成長が絶対化され、一部の者たちへの富の集中と、あまりにも多くの人々の貧困が、正当化されています。自分の、目先の安全や利益のことしか考えられず、そうした自己中心的な考え方が、戦争や環境破壊を引き起こしています。自分だけが正義だという思い込みが、インターネット上での、言葉による暴力の拡大をもたらしています。
今のこの世界は、悪の力の支配にとどまっています。天の国を目指す歩みを止めています。
荒れ野は、旅をするところです。旅を止めれば、死が訪れるところです。この世界は今、天の国ではなく、死に近づいているのです。
今日の福音は、「荒れ野で叫ぶ声」として、預言者イザヤの言葉を伝えています。
「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」という言葉です。
荒れ野には、道がありません。私たちが歩むところが、荒れ野の道になります。
私たちは、この道筋を、どのように知ることができるでしょうか。
使徒パウロは今日、その答えを示しています。パウロは、「わたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができる」と述べています。
私たちは、聖書から、「主の道」を学ぶことができます。聖書が示す道、天の国への道は、忍耐を持って歩まなければならない道です。
間違いや失敗もあります。しかし、主の道は、決められた道ではありません。いつでも、方向を変更することができます。道幅を変えることもできます。この道を、互いに気遣いながら、ともに祈りながら、歩む時、必ず、天の国にたどり着くのです。
私たちの前に、決められた道はありません。私たちが祈りながら、ともに歩む道が、
主の道となっていくのです。このような道を歩むことなどできないと、嘆き、絶望することはありません。私たちが歩む道が、必ず、主の道になると希望を持って歩む時、
そこに、主の道ができあがるのです。そこで、主イエスに出会うのです。
今は、主の顔を見ることができません。私たちは、背中を追いかけて歩むしかありません。しかし、主と、顔と顔を合わせる日が、必ず来ます。その時、天の国は完成するのです。時間はかかりますが、主の道を歩み続ける限り、天の国は、必ず完成するのです。
預言者イザヤは今日、天の国がどのようなところかを示しています。
「わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。」
イザヤの預言は、天の国が完成した時、あらゆる暴力が無くなると宣言しています。すべてのいのちが、ともに生きるようになると宣言しています。
今の世界に生きている私たちにとって、イザヤの言葉は、実現不可能な、戯言に聞こえてしまいます。しかし、この預言が実現することを信じて、希望を持って歩む時、
私たちは、荒れ野を歩んでいることになるのです。荒れ野で叫ぶ声になるのです。
希望の巡礼者として、ともに、荒れ野の道を歩んで行きましょう。
12月7日/待降節第2主日
このブログを検索
1月11日/主の洗礼
[説教] 今日は、降誕節の最終日です。私たちは、この日、「主の洗礼」の祝日を祝います。神の御子は、人間となって、私たちを救うために、「洗礼」を受けられたということを記念します。主イエスが、私たちのために洗礼を受けられたことに感謝します。 福音記者マタイが伝えているように、神の御...
-
聖年についての教皇文書、「希望は欺かない」の中で、「聖年は、地上の財は限られた特権的な人たちのためではなく、すべての人のためにあるということを思い起こさせます」と述べられています。そして、私たちは今、「すべてのいのちを守るための月間」を歩んでいます。この地球が、すべてのいのちのた...
-
[お説教] 10月は、ロザリオの月です。聖母マリアは今、すべてのいのちのために祈っています。私たちも、ロザリオの祈りをささげることによって、聖母とともに祈ります。そして、教皇レオ十四世は今月、平和のために、毎日ロザリオの祈りをささげるよう呼びかけています。この呼びかけに応えて...
-
今日の福音のたとえ話の中で、アブラハムは言っています。 「わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうと してもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。」 どうして、この「大きな淵」はできてしまったのでしょうか。 この...