12月25日/主の降誕

降誕祭が始まりました。1月11日の「主の洗礼」の祝日まで、私たちは、神のひとり子が、私たちの一人になられたことを、ともに祝います。
神のひとり子が、すべてのいのちを救ってくださったことを喜び、感謝します。今夜(昨夜の夜半)のミサの福音朗読で、救い主キリストの誕生が告げられます。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日…、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」この福音は、最初に、「羊飼いたち」に告げられました。
羊飼いたちは、神の「御心に適う人」たち、この地上に「平和」をもたらす人たちとされています。福音記者ルカは、「羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」と伝えています。
羊飼いたちは、羊のそばに、いつもいて、ともに旅をし、羊のいのちを守り続けます。野宿をするとは、自分のいのちを危険にさらしても、羊のいのちを守り抜くということです。そして、羊も、人々の生活を支えるために、いのちを差し出すことになるのです。互いのいのちをケアし合う関係なのです。
羊飼いと羊のように、私たちも、互いのいのちをケアし合うならば、この世界に、真の平和が実現し、すべてのいのちが、生きている喜びで輝くのです。すべてのいのちの輝きこそ、神の栄光なのです。地上の平和が、天上の栄光となるのです。
今夜(昨夜)の福音には、住民登録を命じる、ローマ皇帝アウグストゥスが登場します。しかし、すべての住民を支配しようとする、この皇帝には、救い主誕生の福音は告げられません。
ローマ皇帝を始めとする権力者たちは、力で、暴力で、人々を支配しようとします。
権力者たちは、贅沢な生活を続けることにしか関心がありません。自分たちの生活を守るために、人々の生活を犠牲にします。人々が、自分たちの生活を守るために、権力者たちに抵抗する時、多くの場合、テロリスト扱いされて、命までも奪われることになります。
ここに、真の平和などありません。権力者たちのための平和は、偽りの平和なのです。支配されている人たちが、恐れて、沈黙を保って、おとなしくしていることは、平和ではなく、暴力と恐怖の支配なのです。
テロリズムとは、本来、こうした暴力のことなのです。こうした暴力があるところに、救いは、絶対に訪れないのです。
明日の日中(今日)のミサで、救い主の降誕のもう一つの福音が宣言されます。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」という福音です。神の愛が、言葉だけではなく、実行されるようになったという意味です。肉体を使って、愛が実行されるようになったという意味です。
しかし、肉体には、限界があります。できないことがたくさんあります。だから、協力し合って、愛の行いを実行します。肉体を持っているということは、一人では生きていけないということなのです。だれかにケアされて、生きているということなのです。私たちは、自分がまわりのいのちにケアされて生きていることに気づき、感謝する時、私たちが発する言葉は、愛に満ちた言葉になります。私たちの生きる姿は、神の愛をあらわすことになります。「言は肉となって」、この世界に、真の平和が実現します。そして、愛のみことばは、この世界の中に、「宿って」います。
「宿る」とは、「天幕を張る」という意味です。この世界の中を、旅をしながら、ともに生きていくということです。愛のみことばを宣べ伝え、分かち合いながら、旅をするということです。出会う人にお世話になりながら、出会う人の求めに応えて、お世話しながら、生きていくということです。お世話し合いながら、皆で愛を深め、大きくしていくことです。この歩みの中に、いのちがあるのです。希望の巡礼者である私たちは、このいのちとなって、「闇の中を歩む」人々と、希望を分かち合いながら歩んでいくように励まされているのです。
今日、すべてのいのちのために、救い主がお生まれになりました。救いとは、ともに生きているという喜びです。まわりのいのちにケアされて生きているという喜びです。肉体という限界があっても、まわりの人をケアすることができるという喜びです。ただそばにいることが、最高の愛になるという喜びです。肉体という限界があるからこそ、優しくなることができるという喜びです。あたたかい言葉を発すること、あたたかい沈黙を保つことができるという喜びです。そして、こうした喜びが、いつか、すべてのいのちを満たすという希望です。
私たち希望の巡礼者は、この希望に満たされて、これからも、歩み続けたいと思います。

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