[説教]
私たちは今、降誕祭を祝っています。そして、「主の公現」の祭日である今日、さまざまな違いを越えて、すべての人が、主の降誕の喜びに満たされることを祈っています。すべての人が、私たちの喜びの分かち合いに加わることを願っています。
今日の福音に登場する「占星術の学者たち」は、救い主に会いたいという、大きな望みを抱いて旅をしている人たちです。この人たちを歩みを、「あの方の星」が導きます。この星は、学者たちの救い主に会いたいという願いと、その願いに応えられる神の導きを表しています。救い主を求めている人たちを救い主のもとに導くしるしです。この星は、決して大きな、すぐに見える星ではなかったと思います。むしろ、細心の注意を払わないと見えない、ごく小さな星だったと思います。救い主を求めている学者たちは、この星を発見して、どのような苦労も厭わず、旅を続けているのです。そして、救い主に会うことができ、「喜びにあふれ」ます。学者たちが献げたた三つに贈り物は、この大きな喜びを表しています。自分たちの願いがかなえられたことへの感謝を表しています。
この星は、誰にでも見えるわけではありません。実際、福音記者マタイが伝えているように、救い主を求めていないヘロデ王たちには、この星が見えません。救い主に会うことを心から願って、空を見上げさえすれば、すぐに見えるはずなのに、そうしないのです。祭司長たちや律法学者たちも、ただ書かれたものを調べているだけで、外に出て、空を見上げようとしません。ベツレヘムに行けば良いとわかっても、そこに出かけようとしません。すぐ近くなのに、動こうとしません。ここに救いはないのです。
占星術の学者たちは、救い主に会うという願いがかなえられた後も、「別の道を通って」、旅を続けます。新たな旅を始めます。学者たちの旅は、決して終わることはないのです。この新たな旅は、旅の中で出会う人々に、救い主がお生まれになったという福音を宣べ伝える旅です。人々と喜びを分かち合う旅です。そして、人々とともに、救い主との新たな出会いを求めるたびです。
今日、主の公現を祝っている私たちは、占星術の学者たちの旅に加わるように招かれています。福音書は、学者たちが三人であったとは伝えていません。学者たちが何人であってもかまわないのです。救い主を求めて、日々旅をしている者は、救い主と会えた喜びを分かち合っている者は、すべて、「占星術の学者たち」なのです。今日、使徒パウロは、私たち教会が、「福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものを…受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者」であると宣言しています。私たち教会は、ともに、旅を続けている「占星術の学者たち」なのです。
そして、占星術の学者たちは、小さなものに、注意深く目を向けている者たちです。天を見上げ、闇に中でも、小さな星を見出し、しっかりと見つめる者たちです。小さな星は、実際は、巨大な星で、私たちから遠く離れているところにあるから、小さく見えるのです。小さな星は、すべてのいのちを包み込む神の大きな愛のような、大きな星なのです。占星術の学者たちは、私たちは、この大きな星に近づこうとしているのです。そして、神は、私たちのところに、光よりも速いスピードで、来られたのです。今日の福音は、「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」と伝えています。光よりも速いスピードで、私たちのところに来られた救い主の姿を伝えています。
目立たない、小さな家の中におられる、幼子。母マリアがそばにいなければ生きていけない、救い主イエス・キリスト。この小さないのちこそ、すべてのいのちを包み込む、大きな愛です。今は、この愛が小さく、頼りないと思えるかもしれません。そう思うのは、私たちが、まだ、この愛から遠く離れているからなのです。だから、今、占星術の学者たちのように、この愛を求めて、新たな旅を始めたいと思います。日々、「別の道」が用意されている旅を、新たな気持ちで始めたいと思います。今は、小さな愛しか思えないけど、旅を続けていけば、大きな愛であることがわかる。これが、私たちの希望です。この希望を抱いて、希望の巡礼者として歩んでいきたいと思います。今の世界は、闇の中にあると言いたいほどの、酷い状況です。しかし、だからこそ、小さな星の光、希望の光が、はっきりと見えるのではないでしょうか。この希望の星に導かれて、これからも、ともに歩んでいきましょう。
私たちは今、降誕祭を祝っています。そして、「主の公現」の祭日である今日、さまざまな違いを越えて、すべての人が、主の降誕の喜びに満たされることを祈っています。すべての人が、私たちの喜びの分かち合いに加わることを願っています。
今日の福音に登場する「占星術の学者たち」は、救い主に会いたいという、大きな望みを抱いて旅をしている人たちです。この人たちを歩みを、「あの方の星」が導きます。この星は、学者たちの救い主に会いたいという願いと、その願いに応えられる神の導きを表しています。救い主を求めている人たちを救い主のもとに導くしるしです。この星は、決して大きな、すぐに見える星ではなかったと思います。
むしろ、細心の注意を払わないと見えない、ごく小さな星だったと思います。救い主を求めている学者たちは、この星を発見して、どのような苦労も厭わず、旅を続けているのです。そして、救い主に会うことができ、「喜びにあふれ」ます。学者たちが献げたた三つに贈り物は、この大きな喜びを表しています。自分たちの願いがかなえられたことへの感謝を表しています。
この星は、誰にでも見えるわけではありません。実際、福音記者マタイが伝えているように、救い主を求めていないヘロデ王たちには、この星が見えません。救い主に会うことを心から願って、空を見上げさえすれば、すぐに見えるはずなのに、そうしないのです。祭司長たちや律法学者たちも、ただ書かれたものを調べているだけで、外に出て、空を見上げようとしません。ベツレヘムに行けば良いとわかっても、そこに出かけようとしません。すぐ近くなのに、動こうとしません。ここに救いはないのです。
占星術の学者たちは、救い主に会うという願いがかなえられた後も、「別の道を通って」、旅を続けます。新たな旅を始めます。学者たちの旅は、決して終わることはないのです。この新たな旅は、旅の中で出会う人々に、救い主がお生まれになったという福音を宣べ伝える旅です。人々と喜びを分かち合う旅です。そして、人々とともに、救い主との新たな出会いを求めるたびです。
今日、主の公現を祝っている私たちは、占星術の学者たちの旅に加わるように招かれています。福音書は、学者たちが三人であったとは伝えていません。学者たちが何人であってもかまわないのです。救い主を求めて、日々旅をしている者は、救い主と会えた喜びを分かち合っている者は、すべて、「占星術の学者たち」なのです。今日、使徒パウロは、私たち教会が、「福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものを…受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者」であると宣言しています。私たち教会は、ともに、旅を続けている「占星術の学者たち」なのです。
そして、占星術の学者たちは、小さなものに、注意深く目を向けている者たちです。天を見上げ、闇に中でも、小さな星を見出し、しっかりと見つめる者たちです。小さな星は、実際は、巨大な星で、私たちから遠く離れているところにあるから、小さく見えるのです。小さな星は、すべてのいのちを包み込む神の大きな愛のような、大きな星なのです。占星術の学者たちは、私たちは、この大きな星に近づこうとしているのです。そして、神は、私たちのところに、光よりも速いスピードで、来られたのです。今日の福音は、「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」と伝えています。光よりも速いスピードで、私たちのところに来られた救い主の姿を伝えています。
目立たない、小さな家の中におられる、幼子。母マリアがそばにいなければ生きていけない、救い主イエス・キリスト。この小さないのちこそ、すべてのいのちを包み込む、大きな愛です。今は、この愛が小さく、頼りないと思えるかもしれません。そう思うのは、私たちが、まだ、この愛から遠く離れているからなのです。だから、今、占星術の学者たちのように、この愛を求めて、新たな旅を始めたいと思います。日々、「別の道」が用意されている旅を、新たな気持ちで始めたいと思います。今は、小さな愛しか思えないけど、旅を続けていけば、大きな愛であることがわかる。これが、私たちの希望です。この希望を抱いて、希望の巡礼者として歩んでいきたいと思います。今の世界は、闇の中にあると言いたいほどの、酷い状況です。しかし、だからこそ、小さな星の光、希望の光が、はっきりと見えるのではないでしょうか。この希望の星に導かれて、これからも、ともに歩んでいきましょう。