[説教]
復活節は、私たち一人一人が、洗礼によって、神の子どもとされていることを祝い、感謝する時です。
そして、洗礼の恵みによって、私たちは、神の愛を受けた共同体として、ともに歩むことができます。
復活節は、共同体の歩みが新たになる時、愛の共同体の復活の時なのです。
今日の福音は、受難を前にした主イエスと弟子たちとの、愛に満ちた会話を伝えています。
主は、「わたしの父の家には住む所がたくさんある」と、弟子たちに告げられます。「わたしの父の家」とは、教会のことだと言えます。
教会は、たくさんの人が、ともに生きるところなのです。神の愛、キリストの愛を信じる人ならばだれでも、ともに生きることができるところなのです。
主はさらに、「あなたがたをわたしのもとに迎える」と言われます。主が今、教会におられ、神の愛を信じている私たちを迎えてくださるのです。そして、「こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」というみことばが実現するのです。
私たちは今、主イエスに迎えられて、互いに愛し合いながら、ともに生きることで、教会という共同体になるように招かれているのです。教会になっていくことこそが、洗礼の恵みなのです。
私たちは、主によって集められ、この世界で生きている教会、地上を旅する教会です。
地上を旅する私たちは、さまざまな問題を抱えています。地上の教会では、愛し合うどころか、傷つけ合いが起こっています。この世界で生きている教会は、この世界が抱える問題で苦しんでいます。教会が迫害されているだけではなく、教会の中で迫害が起こっています。
教会の中で傷つき、教会の交わりに加わることができなくなっている人が多くいます。
しかし、地上の教会だけが、教会ではありません。教会は、天上の教会と地上の教会が、祈りによってつながり、一つの教会となっています。
天上の教会では、すべての人が神の愛で満たされ、互いに愛し合っています。さらに、天上の教会の姉妹兄弟たちは、地上の教会である私たちを愛し、私たちのために、絶えることなく、祈っています。そして、私たちも、地上の生活を終えた後、天上の教会の交わりに、愛の交わり、祈りの交わりに加わることになります。
天上の教会にも、「住む所がたくさんある」のです。だから、この地上でさまざまな苦難があっても、「心を騒がせる」ことなく、愛である神を信じて、生きていくことができるのです。
私たちは、洗礼の恵みによって、天上の教会に行くことができます。
だからといって、地上の教会が今のままで良い、地上の教会を放っておいて、天上の教会に一日も早く行くことができるよう祈っていれば良いということではありません。
天上の教会をめざして旅をするということは、地上の教会が、天上の教会に近づいていくということです。私たちが洗礼を受けたのは、私たち、この地上を歩みながら、失敗や過ちを繰り返しながらでも、少しずつでも、天上の教会に近づいていくためです。地上の教会で生きながら、愛を深め、天上の教会とともに祈るためです。さまざまな暴力によって、傷つけ合いが起こっている世界の中で、癒しの共同体、ケアの共同体になっていくためです。
傷つき、苦しんでいる人ともに、この世界を旅するために、私たちは洗礼の恵みをいただいています。
そして、主イエスは、私たち地上の教会が歩む道を示されます。
主は、「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言われます。
主イエスの歩まれる道こそ、私たちが歩む道です。天上の教会へと続く道です。この世界に、神の愛をもたらす道です。
この道は、十字架の苦しみを通ることで、まことのいのちをいただく道です。まことのいのちとは、互いに愛し合うということです。
私たちは、互いに愛し合えるようになるために、苦しまなければなりません。イエス・キリストを通るということは、愛のためにともに苦しむということです。
キリストという道を通ることで、教会になっていきましょう。
日々、愛の共同体の復活の喜びを分かち合っていきましょう。