2025/7/6 年間第14主日 お説教

 [7月6日/年間第14主日]

[お説教]

今日の福音が伝えている「七十二人」は、ここに集まっている私たちのことです。私たちは、この七十二人に加わり、福音を宣べ伝えるように、福音宣教の 喜びを体験するように招かれているのです。 前教皇フランシスコが、『福音の喜び』という文書の中で、はっきり言っている ように、「イエス・キリストにおいて神の愛に出会ったかぎり、すべてのキリスト者は宣教者です。」 主イエスに呼ばれて集まっている私たちは皆、「宣教する弟子」なのです。

 

宣教する弟子である私たちは、「収穫の主」に祈り続ける弟子です。「収穫のために働き手を送ってくださるように」、熱心に祈り続ける弟子です。私たちにとって、収穫とは、すべての人が救われることであり、ほんとうの幸いが、すべてのいのちに訪れることです。私たちは、祈ることで、この幸いが 神から与えられる恵みであることを忘れません。そして、祈りによって、自分の力だけでは、救いの福音を宣べ伝えることはできないことを、謙虚に認めます。謙虚に認めて、ともに宣教している仲間に感謝します。仲間が増えることを、心から願います。祈りがなければ、福音宣教はできません。祈ることから、福音宣教は始まるのです。

 

主イエスは、宣教の旅には、「財布も袋も履き物も持って行くな」と命じておられます。また、「途中でだれにも挨拶するな」と言っておられます。 これらの言葉は、大切なことを見失うなという意味ではないでしょうか。大切でないことに気をとられ、時間をとられて、何が大切かわからなくならないように注意しなさいという意味ではないでしょうか。大切なことは、福音が伝わるということなのです。皆が福音を知って、幸せになるということなのです。あまりに多くのものを持ちすぎて、最も大切な福音を、どこかに置き忘れていないでしょうか。まわりのことを気にしすぎて、空気を読みすぎて、福音が聞こえなくなっていないでしょうか。

 

それでは、私たちが宣べ伝える福音とは、何でしょうか。 それは、「神の国はあなたがたに近づいた」という福音です。 神の国が近づいているということは、だれもが愛されていることを、心から信じることができ、安心して愛し合うことができる時が近づいているということです。

この福音を分かち合うことが、福音を宣べ伝えるということなのです。言葉だけではありません。神の国が近づいたという体験を分かち合うのです。小さな愛の行いを続けていくことで、神の国が、すでに、少しずつ、実現していることを証しするのです。

 

今日の福音では、主イエスが、七十二人に、「その町の病人をいや」すよう命じておられます。病人のいやしとは、神の愛を求めている人と、愛を分かち合うことです。自分は愛されていないと絶望している人と、愛されている喜び、愛することができるという希望を分かち合うことです。自分が神から愛されている、その愛によって、愛を求めている人を愛することです。神からいただいたいのちを、誰かのために生きることで、その人とともに、神のいのちを生きることです。ともに神のいのちを生きることで、福音の喜びを分かち合うことなのです。

 

さらに、今日の福音では、宣教する弟子は、キリストの平和を分かち合える人のところに留まり、そこでの交わりを大切にするように説かれています。 「そこで出される物を食べ、また飲みなさい」という言葉は、交わりを大切にしなさいという意味ではないでしょうか。 キリストの平和に満たされた交わりこそ、福音宣教する者を支えるものです。宣教する弟子は、キリストの平和を分かち合う人々の交わりから、この世界に派 遣されていきます。そして、福音宣教とは、キリストの平和に満たされた交わりが広がっていくことでもあるのです。神の国とは、キリストの平和を分かち合う交わりでもあるのです。

 

もう一つ、忘れてはならないことがあります。私たちが宣教するところには、後から、主イエスも来られるということです。 福音記者ルカが、七十二人について、「御自分が行くつもりのすべての町や村に 二人ずつ先に遣わされた」と伝えている通りです。 私たちが宣教したところには、後から、主御自分が来てくださるのです。私たちは、主が、後から、来られるという希望を宣べ伝えながら、希望の巡礼者 としての歩みを続けたいと思います。

 

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