[説教]
四旬節は、世界中の洗礼志願者とともに祈りをささげながら、洗礼の恵みを黙想する時です。洗礼は、天国に行くための手段ではなく、この世界を生きていくという恵みです。
神の国に向かって、主イエスとともに歩んでいくという恵みです。
今日の福音で、洗礼を受けられた主イエスは、荒れ野を歩まれます。洗礼を受けるということは、荒れ野を歩むということなのです。洗礼を受けた人は、この荒れ野を歩むように招かれているのです。
荒れ野は、別の世界ではありません。私たちが、今生きている、この世界こそが荒れ野なのです。この世界が荒れ野になることが、この世界を荒れ野として体験することが、洗礼の恵みなのです。主イエスは今日、聖霊に導かれて、荒れ野を歩まれます。
洗礼を受けた人も、同じ霊に導かれて、荒れ野という世界の中で生きていくのです。
荒れ野は、楽に生きることができるところ、楽しいところではありません。苦しみを背負って生きるところです。悪の誘惑を受けるところだからです。洗礼を受けた人は、悪を知っています。知っているから、誘惑を受けるのです。悪を拒もうとするから、誘惑を受けるのです。悪の誘惑を経験するのは、悪を拒もうとしているからです。
そして、この世界に生きている限り、悪を拒むことは、多くの場合、苦しいことです。
悪を悪と思わず、まわりに合わせて生きる方が、楽です。何があっても隣人を愛することは、本当に苦しいことです。自分は正しいと思い込み、だれかを悪者にして、まわりの人たちといっしょに攻撃をすること、悪口を言うことの方が楽です。洗礼を受けた人は、このことを知っていて、悪を拒もうとするので、苦しくなるのです。まわりに合わせ生きていかなければならないので、苦しいのです。
もちろん、どのような悪も退けることができたら、それに越したことはありません。
しかし、理想通りにはならないのです。洗礼を受けた人は、愛という理想を持っているからこそ、苦しいのです。そして、理想を捨てず、何度失敗しても、愛を求めている限り、悪の誘惑に屈していないのです。
神の国という理想を追い求めている人には、「神の口から出る一つ一つの言葉」が与えられています。洗礼を受けた人は、この神のことばで生きる人なのです。洗礼を受けたということは、物質的な豊かさだけで生きることができず、神のことばによって、本当に生きるようになるということなのです。洗礼を受けるということは、神のことばを宣べ伝える人になることです。神のことばで生きることこそが、神のことばを宣べ伝えることなのです。
神の国に向かって歩んでいる人は、日々祈ります。
祈りとは、すべてのことが、神のみ旨通りになるように願うことです。
主イエスは、「あなたの神である主を試してはならない」と宣言しておられます。
神を試すとは、神のみ旨ではなく、自分の望みの実現を求めて、神に要求することです。
神を、目的達成の手段にすることです。神を、自分の思い通りに動かすことです。
祈りとは、試みの対極にあるものです。祈りとは、神のために生きたいと願うことです。
隣人のために生きる知恵と勇気を求めることです。「神殿の屋根の端に立」って、見下ろすことではありません。教会の中で、姉妹兄弟とともに、神に向かって、目を上げることです。毎日の生活の中で、まわりの人の願いを、神にささげることです。
洗礼を受ける人は、祈りの人となるのです。祈りながら生きる人となるのです。
しかし、私たちは、洗礼を受けても、祈れずに苦しむ時があります。祈りたいのに祈れないという苦しみも、洗礼の大きな恵みなのです。祈ることを諦めて、この恵みを失わないように、互いに励まし合いましょう。
そして、神のことばで生かされ、祈りを大切にしている人は、神と隣人に仕えることを喜びとする人です。「世のすべての国々とその繁栄ぶり」を目にしても、それを自分のものにしようとはしません。高いところから世界を見て、世界を支配しようとしません。
人々の中で生き、人々の声に、謙虚に耳を傾けます。人々の願いを自分の願いとして、ともに祈ります。神のことばに生かされて、隣人を愛することに、生きる喜びを感じます。
今愛することができなくても、愛せるようになりたいと祈り続けます。洗礼を受けたということは、神と隣人に、愛をもって、仕える人になったということです。
仕えることに、生きている意味、生きがいを見いだしたということです。
私たちは今、荒れ野で生きています。荒れ野には、たくさんの悪があります。悪があることで、たくさんの人が苦しんでいます。そして、主イエスは、苦しんでいる人とともに、苦しんでおられます。苦しみながら、神の国の完成を目指して、すべてのいのちとともに、歩んでおられます。
洗礼を受けている私たちも、主イエスに従い、苦しんでいる人とともに、歩み続けたいと思います。日々出会う人とともに、神のことばを分かち合いながら、祈り合いながら、仕え合いながら、苦しみをともにしながら、生きていきたいと思います。