[説教]
今年の四旬節教皇メッセージのテーマは、「耳を傾け、断食する―回心の季節としての 四旬節」です。
このメッセージの中で、次のように述べられています。「あらゆる回心の歩みは、みことばに触れていただき、従順な心でみことばを受け入れることによって始まります。」
私たちは、この四旬節に、神のことばに耳を傾けることで、回心の恵みをいただきたいと思います。回心とは、罰や裁きを恐れて、何かをしないことではありません。
神のことばによって、毎日の生活を新たにしていただくことです。
愛のみことばに触れて、愛を新たに、深めていただくことです。
今日の福音は、受難と復活の地であるエルサレムへの旅を始められた、主イエスの姿が変わった出来事を伝えています。
この変容の時、「モーセとエリアが現れ、イエスと語り合っていた」のです。
モーセとエリアも、神のことばに耳を傾け、それを人々に告げ知らせた人たちです。
ですから、三人の語り合いは、神のことばの分かち合いだったと言えます。ペトロは、三人が分かち合っている出来事を、ビデオに録画するかのように、保存しようとします。
保存された分かち合いを見ることで、満足しようとします。確かに「すばらしい」分かち合いだったことでしょう。しかし、分かち合いは、見て満足することではありません。
すばらしい分かち合いの様子を見た私たちは、同じ分かち合いに加わるよう招かれているのです。
神のことばの分かち合いは、耳を傾けることから始まります。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け。」
この天からの声は、耳を傾けることへの招きのことばです。主イエスに、耳を傾けることから、私たちの分かち合いは始まるのです。私たちが耳を傾ける方は、「イエスのほかにだれもいな」いのです。「イエスは近づき」、私たちの心に「触れて言われ」ます。
「起きなさい。恐れることはない」と、私たちを励まされるのです。
神のことばは、私たちを恐れさせることばではありません。神のことばの分かち合いは、私たちを起き上がらせます。神のことばに耳を傾け、神のことばを分かち合った私たちは、起き上がります。神のことばに支えられて歩むためです。神のことばに生かされて、毎日を生きるためです。
神のことばの分かち合いは、耳を傾け、語り合うことで終わりません。神のことばに従って、生きるようになります。一人で生きるのではありません。
神のことばを分かち合った人たちは、みことばに導かれて、ともに歩みます。
私たちは、「仮小屋」に留まってはならないのです。「高い山」に留まらず、「山を下りる」よう励まされでいるのです。主とともに、山を下りて、この世界の中で生きるように励まされているのです。
回心とは、高い山で神のことばに耳を傾け、新たにされ、山を下りて、神のことばに導かれて、この世界で生きていくことなのです。神のことばが示す御国の完成を目指して、 一人ではなく、ともに生きていくことなのです。
そして、神のことばは、高い山でしか聞けないということではありません。
私たちは、山を下りた、この世界でも、神のことばを聞くことができます。この世界の中でこそ、神のことばに耳を傾けようとする時、私たちの回心は、さらに深まるのです。
主イエスは、さまざま出来事を通して、そこで出会うさまざま人を通して、語りかけておられます。この世界の中で実現している神のことばこそ、私たちが、謙虚に耳を傾けなければならない、みことばなのです。
特に、主は貧しい人たちとともにおられます。キリストは、貧しい人の一人となっておられます。貧しい人たちこそ、私たちの回心を深める、神のことばです。貧しい人たちの姿に、栄光に輝く主の姿を見い出す時、私たちは回心していることになります。貧しい人に出会い、「これに聞け」という天の声に、謙虚に耳を傾けることが、真の回心と言えるのです。
貧しい人とは、まず、この世界で、貧困や不正、さまざま暴力によって、安心して生きていくことができない人のことです。こうした貧しい人たちにひれ伏して、その声に耳を傾けることこそ、回心なのです。そして、私たちは人間である限り、だれもが、神の前で、貧しい者であると言えます。まわりの人がいなければ生きていけないことを認める時、 貧しい者となります。私たちは皆、弱さや限界を持った、貧しい者です。この貧しさを、素直に認めて、互いに耳を傾け合う時、私たちは、神の国の福音を、本当の意味で分かち合うこととなり、ともに回心の道を歩むこととなります。
四旬節という恵みの時、私たちは、神のことばに耳を傾け、神に変えていただきましょう。
自分が貧しい者であることを認めて、光り輝く姿に変えていただきましょう。
貧しい主とともに、すべてのいのちが輝く御国を目指して、日々、回心の道を歩んでいきましょう。
神のことばを聞こえなくするものを、勇気を持って断ち、神のことばに、しっかりと耳を傾けて、四旬節を歩み続けていきましょう。