4月12日/復活節第2主日・神のいつくしみの主日

 [説教]

主イエスは、復活し、今生きておられます。生きておられる主のからだは、深く傷ついています。私たちは今、主の復活を祝っていますが、主を深く傷つけた受難の出来事も続いているのです。

深い傷を負っている主イエスは、弟子たちに、「あなたがたに平和があるように」と言われます。この言葉は、今日、ここに集まっている私たちにも、向けられています。深く傷ついた主が、今も、平和を与え続けておられるのです。主から与えられる平和とは、どのような平和でしょうか。主が与えてくださる平和、それは、「罪のゆるし」です。

罪のゆるしとは、罪を見過ごすということではありません。罪をなかったことにするということでもありません。むしろ、罪をしっかり見つめることから始まります。主イエスが負っている傷は、私たちの罪の大きさ、深さを表しています。主を傷つけたのは、あの時のユダヤ人だけではありません。主の弟子たちも、ここに集まっている私たちも、主を傷つけています。福音記者ヨハネは、「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」と伝えています。弟子たちは、自分たちの罪を見つめたくなかったのではないでしょうか。主を傷つけたのはユダヤ人であって、自分たちではないと思い込みたかったのではないでしょうか。罪人のユダヤ人を恐れていたのではなく、罪人である自分を認めたくなかったのではないでしょうか。主は、そんな弟子たちの中に、今ここにいる私たちの中に入り込み、弟子たちの、私たちの恐れを取り除き、弟子たちに、私たちに平和を与えてくださいます。
平和とは、罪のゆるしとは、罪を忘れることではありません。罪をなかったことにして、前向きになることではありません。罪をしっかりと受け止めて、だれもが罪を犯さなくても生きていけるにようにすることです。罪を犯さなくても、だれかを傷つけなくても生きていけるようになることが、主の平和であり、罪のゆるしであり、復活なのです。

今の世界は、平和ではありません。罪の負わせ合いが起こっているからです。自分の正しさを主張し、まわりのだれかを罪人にしていることが、あまりにも多いからです。だれかを悪者にして、自分は正しいと思い込むことでしか生き残れない世界となっているからです。私たち教会は、この世界の中で生きています。この世界の中で、私たちは、罪のゆるしを祈っています。ミサや寝る前の祈りなどで、次のように祈っています。「聖母マリアすべての天使と聖人、そして兄弟姉妹の皆さん、罪深いわたしのために神に祈ってください。」こうした祈りを、皆で心から祈る時、この世界に、罪のゆるしがもたらされ、平和が実現しています。罪深い私が、まわりの人とともに祈ることで、罪深い私たちとなり、罪のゆるしを分かち合うことができるのです。この分かち合いこそが、聖霊の働きであり、復活なのです。

主イエスが弟子たちに、私たちに、見せ、触れさせてくださる傷は、私たちに罪を見つめる勇気を与えます。私たちに、傷の痛みを感じさせます。傷つけ合わなくても生きていける、ともに生きていける世界を求めて祈るよう駆り立てます。今日の第一朗読の使徒言行録は、最初の共同体が、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」と伝えています。使徒の教えとは、主の傷によって与えられた罪のゆるしへの招きです。相互の交わりがもたれ、パンが裂かれていることは、罪がゆるされ、ともに生きているということです。そして、聖霊に導かれた祈りは、罪人である私たち皆がゆるされることを願う祈りです。私たちも今日、熱心に、罪のゆるしを分かち合っています。罪のゆるしのみことば、罪のゆるしのパンを分かち合っています。そして、主は、私たちを、この世界で、まわりの人々と罪のゆるしを分かち合うために、「遣わ」されます。私たちは、復活のいのちをいただいています。罪に傷ついた世界に、罪のゆるしという平和をもたらすことができます。使徒ペトロが言っているように、私たちは、「新たに生まれ…死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」ています。罪に頼らなくても、皆が、ともに生きていける世界が、必ず実現するという希望に満たされています。この生き生きとした希望に支えられて、復活された主とともに、罪のゆるしの福音を宣べ伝えましょう。

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4月12日/復活節第2主日・神のいつくしみの主日

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