6月21日/年間第12主日

 [説教]


私たちは今日、主イエスに呼ばれて、ここに集まっています。こうして集まるということが、時間と場所をともにし、心を一つにして祈ることが、福音そのものなのです。福音を宣教していることになるのです。だから、今日も、力強く福音を宣べ伝えたいと思います。

主イエスは今日、私たち一人一人に、言われます。「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。」私たちは、この世界の中で、こうして集まり、ともに祈ることで、すでに、力強く、主の「仲間であると言い表」しているのです。「言い広め」ているのです。私たちは、教会の中にばかりいないで、社会の中で福音を宣べ伝えるよう励まされています。教会の中で祈っているだけでは、福音宣教にならないと言われることもあります。しかし、忘れてはならないことは、私たち教会は、社会の中で生きているということです。私たち教会が社会の中で生きていて、いつも、人々を温かく迎える時、私たち教会が福音となっているのです。私たちは、こうして集まり続けることで、だれでも歓迎し続けることで、この世界の中で福音となっているのです。私たちが、福音となっているのです。

今の社会は、安心して生きることが難しいところとなっています。「人々を恐れ」ながら生きなければならないところとなっています。教会は、社会の中で生きていますが、だれもが、恐れずに、安心していることができるところです。洗礼を受けているかどうかに関係なく、教会に来る人はだれでも、主イエスの温かい愛に包まれます。主は今日、「あなたがたの髪の毛までも一本数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」と、私たちに、語りかけてくださいます。このみことばを信じて、互いに大切にし合う時、私たち教会は、福音となっているのです。

私たちは今日、「あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」という福音を、主イエスから、「耳打ちされ」ています。私たちは、この福音を、「屋根の上で言い広め」るよう求められています。「すべてのいのちは大切である」と言い広めるように求められています。特に、弱い立場に置かれたいのちを大切にすることは、私たち教会の義務です。女性が神からいただいたいのちを感謝して、その小さないのちを安心して、喜んで、この世界に迎えることができるようにすることは、私たち教会の最も大切な使命です。そのために、この世界に、いかなる暴力もあってはならないのです。いのちを傷つけることは、もちろん暴力です。しかし、それだけではありません。それ以上に、いのちを傷つけなければ生きていけないように、だれかを追い詰めることも暴力です。自分は正しいと主張し、だれかを悪と決めつけ、まわりといっしょになって責めることも、時として大きな暴力になるのです。戦争や貧困だけでなく、過度の、不要な競争、あらゆる形の虐待やハラスメントなども、決して許されない暴力なのです。暴力はいかなるものであれ、決して許されないのです。もし私たちの中に暴力があるとしたら、私たちは、主から、はっきりと宣告されることになるでしょう。「人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天に父の前で、その人を知らないと言う。」暴力は、福音の否定です。主を知らないと言って、主の愛を拒否することです。私たちが取り組まなければならないことは、暴力のない社会です。暴力を振るわなくても生きていける社会です。暴力を振るっている人を責めるのではなく、どうしたら暴力に頼らずに生きていける社会にしていくかを、皆で、真剣に考え、祈ることです。暴力を振るってしまう人の苦しみを理解し、暴力のない社会を、ともに築いていくことです。一人一人が抱えている傷がいやされ、すべての人が、恐れることなく、安心して生きていける社会に、共同体になっていくことです。

使徒パウロは今日、宣言しています。「恵みの賜物は罪とは比較になりません。」神の愛は、人間の罪と比較にならないほど、大きく、深いということです。私たちは今日、この福音に、喜んで、そして、謙虚に耳を傾けたいと思います。私たちは、罪人の集まりであることを謙虚に認めたいと思います。その上で、私たちは皆、神に愛されていることを喜びたいと思います。そして、神の愛によって、この世界から、あらゆる暴力がなくなることを信じて、祈りたいと思います。主イエスの仲間であることを、ともに祈り続けることで、言い広めていきたいと思います。さらに、忘れてはならないことは、ともに祈っている限り、どこにいても、離れ離れになっていても、私たちは、主の仲間です。神の愛に生かされている共同体です。教会という福音です。この世界の中で、福音となって、ともに歩んでいきましょう。さまざまな理由で教会に来ることができない人ととも、祈りでつながり合い、ともに福音を宣べ伝えましょう。

このブログを検索

6月28日/年間第13主日

 [説教] 「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることになると信じます。」使徒パウロの、この信仰宣言は、洗礼の秘跡の意味を明らかにしています。私たちは今日、使徒パウロとともに、この信仰を宣言して、福音宣教の歩みを続けるいく決意を新たにしたいと思います。 ...

ブログ アーカイブ