6月28日/年間第13主日

 [説教]


「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることになると信じます。」使徒パウロの、この信仰宣言は、洗礼の秘跡の意味を明らかにしています。私たちは今日、使徒パウロとともに、この信仰を宣言して、福音宣教の歩みを続けるいく決意を新たにしたいと思います。

今日の福音で、主イエスははっきりと、「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」と言っておられます。私たちはそれぞれ、自分が担わなければならない十字架が与えられています。十字架とは、避けたい苦しみです。自分の思い通りにならないことです。理不尽に思えることです。そして、自分の十字架は、他の人の十字架よりも、重く、大きく感じしまうことがよくあります。この十字架を担うことが、キリストと共に死ぬことなのです。この十字架を担って、生きていくことが、キリストと共に生きることなのです。洗礼を受けた人は、この十字架を担って、毎日を生きていくことができるのです。十字架を担って生きていくことに、意味を見いだすことができるのです。私たちは、洗礼によって、十字架を担って生きていくことこそが、本当に生きることであると思えるようになったのです。

私たちの苦しみで、一番大きな苦しみとは、「愛する」ことです。愛とは苦しみです。自分が好きな人だけを愛すれば良いならば、愛は苦しみではないでしょう。しかし、主イエスは今日、私たちに、自分が嫌いな人を愛することを求めておられます。嫌いな人を好きになる必要はありません。大嫌いでしかたがなく、いなくなってほしいと思っても良いから、愛するのです。喧嘩をしても、あいさつをしないほど仲が悪くても良いから、愛するのです。自分が嫌いな人は、その人を愛そうとする時、重い十字架となります。主は、ご自分を嫌い、憎む人を愛されました。だから、十字架につけられました。そして、主は、今も、十字架上におられます。すべてのいのちを愛し続けておられるからです。この十字架を担う力が、洗礼の恵みによって与えられているのです。私たちは、日々出会う人を愛するために、洗礼を受けました。キリストと共に、愛という十字架を担って生きていくために、洗礼を受けました。

ここで、注意しなければならないことは、誰かの言いなりになることが、愛ではないということです。暴力に耐え忍ぶことが、愛ではないのです。誰かを自分の思い通りにするということは、どのような形であれ、暴力です。暴力を振るう人に対しては、暴力をやめさせることが愛です。もしやめさせることができなければ、暴力から逃げることが、最大の愛です。愛とは、相手の幸せを願うことです。暴力を振るわずに生きていけることが、一番の幸せです。嫌われてたくないという理由で暴力を許すことは、愛などではありません。嫌われても、暴力を止めることが愛なのです。私たちは、暴力に耐え忍ぶために洗礼を受けたのではありません。暴力を振るうこと、暴力を振るわれることから解放されるために、洗礼を受けたのです。

主イエスは、「自分の命を得ようとする者は。それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」と言っておられます。主のためにいのちを失うということは、自分の思い通りに生きようとするのではなく、まわりの人の思いを大切にしながら生きていくことではないでしょうか。お互いの思いを大切にしながら、ともに生きていくということではないでしょうか。主イエスは、すべてのいのちを愛しておられます。だから、私たちも、主とともに、すべてのいのちを愛することで、互いに愛し合うことで、すべてのいのちが、いのちを得ることができるということではないでしょうか。洗礼を受ける人は、いのちを得ます。それは、愛し合って生きるためのいのちです。愛し合おうとする時、必ずと言っていいほど、苦しみがともないます。この苦しみこそが、キリストとともに死ぬことであり、キリストとともに生きることなのです。生きているからこそ、苦しみがあるのです。

そして、洗礼の秘跡は、私たちをいつも、感謝の心で満たす秘跡です。主イエスは今日、洗礼を受けた私たち一人一人に、自分が「小さな者」であるという気づきを与えてくださいます。洗礼を受けた私たちは、まわりの人に支えられて生きている、「小さな者」となったのです。神とまわりの人の愛を信じて、安心して、「小さな者」のままで生きていける者となったのです。「冷たい水一杯」という言葉が表す、まわりの人の愛に気づいて、感謝できる者となったのです。洗礼の水は、神の愛です。「冷たい水一杯」は、まわりの人の愛です。「小さな者」とは、たくさんの愛に気づくことができる者です。たくさんの愛に生かされている、「小さな者」であることに感謝しながら、愛という十字架を担って、ともに生きていきましょう。

このブログを検索

6月28日/年間第13主日

 [説教] 「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることになると信じます。」使徒パウロの、この信仰宣言は、洗礼の秘跡の意味を明らかにしています。私たちは今日、使徒パウロとともに、この信仰を宣言して、福音宣教の歩みを続けるいく決意を新たにしたいと思います。 ...

ブログ アーカイブ