[説教]
「1945 年8月9日、米軍機が投下した一発の原子爆弾は一瞬にして長崎のまちを破壊し、その年の終わりまでに人口の3分の2にあたる15万もの人々が死傷しました。13歳で被爆した故・𠮷田勝二さんは、地獄のような惨状をこう語っています。
爆心地の方に向かうと黒焦げで炭化した人、目が飛び出ている人、内臓が飛び出した人、手足がない人たちが右往左往していた。浦上川にたどり着くと、ここも焼けただれた多くの人が、油と血と汚れた水、その水を飲みながら次々に亡くなっていった。私は、全身血だらけ、皮膚は剥がれ体の下の方にだらりとぶら下がっていた。顔も皮膚は付いていたものの、どす黒く焼け焦げていた。
吉 田さんの顔には生涯消えることのない大きな火傷の痕が残り、周囲からの視線に苦しみ続けました。辛うじて死を免れた人々も、心身に深い傷を負い、放射線の影響でがんなどが発症することへの不安と恐怖を一生抱え続けています。…
一つの地球に暮らす『地球市民』の皆さん。平和な世界をつくるために、私たちにはできることがあります。『平和の原点は、人間(ひと)の痛みがわかる心を持つこと。』これは𠮷田さんが被爆体験を語るとき、いつも伝えていた言葉です。相手の立場や苦しみに心を寄せ、分かり合おうと努力することは、対立や衝突を避けるための大事な一歩となります。それが人と人、国と国、それぞれの場面で信頼を育み友好関係を築く礎になるのです。𠮷田さんの言葉を心に刻み、行動につなげていきましょう。…
被爆者の声を直接聞くことのできる今だからこそ、未来へ向けて被爆の記憶と被爆者の思いをしっかりと受け継いでいきます。…」
これは、今年の長崎平和宣言の一部です。
今日は、聖母マリアの被昇天の祭日であり、平和旬間の最終日です。私たちも今日、天の栄光に上げられた聖母マリアとともに、心を一つにして、平和を宣言します。そして、キリストの平和を、日々出会う人と分かち合っていきます。口先だけでなく、毎日の行いを通して分かち合っていきます。
今日の福音は、聖母の平和宣言です。平和宣言はまず、この世界が平和ではないと宣言します。自分こそ正しいと「思い上が」り、だれかを悪と決めつけ、攻撃している者がいます。攻撃することで平和が実現すると「思い上がる者」がいます。「権力ある者」は、人々のいのち、生活を守るため、人々の幸福に奉仕するという使命を忘れています。そして、権力が、人々を苦しめる手段、暴力となっています。多くの人が、権力者の「座」の下で苦しんでいます。多くの人が、人間として幸福に生きる権利を奪われています。この世界では、「飢えた人」で満ちています。「富める者」のお金は、さらなる金儲けのための投資や、自分の地位を守るための武器購入に向けられ、飢えた人を満たすことには向けられません。力のない人は、自分が幸せに生きる権利を要求することを許されず、沈黙を強いられています。聖母は、この世界が平和ではないと宣言しているのです。
そして、天の平和が宣言されます。天では、神のみが、「力ある方」です。だれも、自分が正しいなどと主張せず、神の「憐れみ」によって生かされいること忘れず、「神を喜びたたえます。」自分を守るために、武装する必要はなく、弱く、貧しいままで良いのです。自分の弱さや貧しさを認める人こそが、「良い物で満た」されます。自分の力を誇ろうとする者は、いつまでも満たされることはありません。神のみが、すべてのいのちを生かす力を持っておられ、私たちは、力や富を持つ必要がなく、ただ、祈り続ければ良いのです。聖母マリアのように、すべての人が、神の憐れみによって、「代々に限りなく」、生きますようにと、ひたすら祈り続ければ良いのです。すべてのいのちの幸せを、願い続ければ良いのです。天の平和とは、祈り続けることができるという平和なのです。
天の平和に上げられるということは、地上の苦しみと関係がなくなるということではありません。天に上げられた聖母マリアこそ、地上で苦しむ人の声、被爆者の声に、いつも耳を傾けています。天にいるということは、地上のすべての苦しみがわかるということです。「からだも」、天に上げられた聖母は、その栄光のからだをもって、地上のあらゆる苦しみを感じているのです。聖母のみ心とは、「平和の原点」である、「人間(ひと)の痛みがわかる心」なのです。そして、聖母の「魂」には、吉田さんの被爆体験が、すべての人の苦しみの体験が刻まれているのです。私たちも、聖母のように、魂にしっかりと刻みつけましょう。そして、「被爆者の声を直接聞くことのできる今だからこそ、未来へ向けて被爆の記憶と被爆者の思いをしっかりと受け継いでいきま」しょう。「𠮷田さんの言葉を心に刻み、行動につなげていきましょう。」神からいただいた、からだと魂をもって、天の平和を地上に実現していきましょう。