[説教]
平和旬間を過ごしている私たちは今日、洛東ブロック共同体として、平和祈願ミサをささげています。今日の集会祈願で、私たちは皆、聖霊によって神の子どもとされていることを確かめました。そして、約束された永遠のいのちに導かれることを、共同体として、心を一つにして願っています。平和とは、すべての人が、神の子どもとして、大切にされていることです。大切にされていることを忘れないことです。すべての人が、互いに大切にし合うことで、いつまでも、ともに生きることです。すでにこの世を去った人々のことは、私たちの記憶や祈りの中で思い起こされ、大切にされます。そうすることで、この人々は、今も、私たちとともに生きていることになります。そして、私たちは、これから生まれてくるいのちのことを考えて、今を生きることになります。今の私たちさえ生きることができれば良いという思いを捨て、未来の人々も生きることができるように、私たち以上に幸せに生きることができるように、ともに祈り、ともに努力します。こうして、過去のいのち、今のいのち、これから生まれてくるいのちが、ともに生きるようになります。ともに生き続けることで、永遠のいのちに導かれます。永遠のいのちとは、自分だけが永遠に生きることではありません。すべてのいのちが、ともに、永遠に生きることなのです。そして、この、ともに生きることこそが、真の平和なのです。
今日の福音は、主イエスが、「群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった」と伝えています。主は、群衆を大切にしました。群衆が生きるようになるために、ともに、平和に生きるようになるために、群衆に、ご自分のすべてを与え尽くされました。すべてを与え尽くす愛を与えられました。群衆を愛した愛だけでなく、群衆が互いに愛し合う愛です。私たちは、この愛を与えられる時、本当に平和に生きることができます。主は、祈ることによって、御父と愛を分かち合われました。私たちが祈りをささげる時、神は、この愛を分かち合ってくださいます。私たちは、この世界に平和をお与えくださいと祈るだけではありません。私たちが、この世界で日々出会う、いのちを愛することができますようにと祈るのです。愛によって、世界平和を実現できますようにと祈るのです。祈っているだけでは平和は実現しないと、よく言われます。確かにそうです。しかし、祈りがなければ、真の平和は訪れないのです。そして、宗教の違いを超えて、だれもが、安心して祈れることこそが平和なのです。
今日の第一朗読は、神と出会うエリヤについて伝えています。エリヤは、「激しい風…地震…火」の中に、神を見いだすことはできないのです。「静かにささやく声を聞」いて神がおられることを知るのです。神は、大きな出来事の中ではなく、日々の小さな出来事の中におられるのです。そして、小さな出来事の中で働いておられる神に気づき、礼拝をささげることが、真の礼拝となるのです。この神から、真の平和が与えられます。ですから、平和とは、小さな出来事を大切にすることだと言えます。日々の小さな愛の行いに気づき、感謝できることが、平和なのです。ささやくような声であっても、平和を祈り求めていれば、平和は訪れるのです。小さな暴力だと思えても、暴力を見過ごさないことが平和なのです。平和を求める声に、声にならない声を聞き逃さないことが、平和を築いていくことなのです。声の小さい人が犠牲になり、声の大きい人の思い通りになっている限り、絶対に、平和は実現しないのです。「静かにささやく声」こそが、真の平和なのです。この声がだれにでも聞こえるようになる時、真の平和が実現しているのです。
そして、主イエスは今日、「恐れることはない」と言ってくださいます。平和とは、恐れがなくなることです。恐れがなくなり、武器がいらなくなることです。他人に、恐れを抱かないことです。恐れを抱かせないことです。6日の広島平和記念式典の、こども代表による「平和への誓い」で次のように述べられていました。「私たちには、広島のこどもとして、行動する責任があります。相手の気持ちを想像し、意見の違いがあっても認め、受け止めること。 平和への思いを、自分なりの方法で表現すること。一人一人の小さな行動が、平和への後押しとなります。 」今日、平和祈願ミサをささげている私たちも、恐れずに行動する責任があります。相手を恐れる前に、相手の気持ちを想像し、意見の違いがあれば、理解し、学び合いたいと思います。平和への思いを語り合い、聴き合いたいと思います。相手を恐れるのではなく、ともに平和をめざしていく仲間として大切にしたいと思います。主は今日、私たち一人一人に、「安心しなさい」という言葉をかけてくださっています。私たちも、互いに、「安心しなさい」という言葉をかけ合いましょう。私たちが、「安心しなさい」という言葉をかけ合う時、そこに、私たちの平和キリストがおられるのです。