2025/9/28 年間第26主日 ことばの祭儀、お説教
2025/9/21 年間第25主日 ことばの祭儀、お説教
2025/9/14 十字架称賛 ことばの祭儀、お説教
[9月14日/十字架称賛]
明日、15日は「敬老の日」です。
日本の教会は、これに合わせて、今日、14日に「祖父母と高齢者のための世界祈願日」を過ごしています。この日のために、毎年、教皇メッセージが出されています。
今年のテーマは、「希望を失うことのない人は、幸いだ」です。
今年のメッセージ中で、教皇レオ十四世は、次のように述べています。
「シラ書は、『希望を失うことのない人は、幸いだ』と述べます。
これは、わたしたちが人生の中で―とくに人生が長い場合に―、未来に向かうよりも後ろを振り向きがちであることを示唆しています。
しかし、教皇フランシスコが最後の入院中に書き記したとおり、『わたしたちのからだは弱いものですが、たとえそうであっても、何も、わたしたちが愛し、祈り、自分をささげ、信仰において互いに希望の輝くしるしとなることを妨げることはできません』。わたしたちは、どんな困難も奪うことのできない自由をもっています。すなわち、愛し、祈る自由です。すべての人は、つねに、愛し、祈ることができます。」
そして、今日は、「十字架称賛」の祝日でもあります。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」このみことばは、福音の核心であり、神の愛を、最も簡潔に、はっきりと宣言しています。
親である神は、ご自身以上に大切な存在である独り子を、教会だけではなく、教会を含む、この世界にお与えになったのです。これから与えるということではなく、もうお与えになったのです。この世界が拒否しても、与え続けておられるのです。
では、「与える」とは、どういうことでしょうか。独り子がこの世に与えられたということは、神の独り子が、いつも、私たちとともにおられるということです。私たちとともにおられる、神の独り子イエスは、今、何をしておられるでしょうか。神の独り子は、今、十字架につけられておられるのです。十字架につけられて、愛し、祈っておられるのです。この世界を愛し、この世界のために祈っておられるのです。特に、苦しんでいるいのちを、この上なく愛し、その苦しみを、深く感じながら、すべてのいのちの、真の幸いを祈っておられるのです。
この世界にある苦しみには、さまざまな暴力がもたらす苦しみがあります。
戦争、貧困、差別などによってもたらされる苦しみがあります。しかし、信じたくても信じられない苦しみ、愛したくても愛せない苦しみ、他人のために何かしたくても、自分のことしか考えられないという苦しみがあります。
欲しいものが手に入れば入るほど、便利になればなるほど、大きくなっていく苦しみがあります。十字架につけられている独り子は、すべての苦しみを、ともに苦しんでおられるのです。すべてのいのちが、すべての苦しみから解放されるよう、愛を込めて、熱心に祈っておられるのです。
愛とは、問題を解決することではありません。何かを与えることでもありません。何かをしてあげることでもありません。
愛とは、その人のことをいつも思い起こして、ともに生きることです。その人のために祈ることです。何もできないと失望することなく、祈り続けることです。病床にあっても、身体が思い通りに動かなくても、愛することはできます。何も活動ができなくても、まわりの人、すべてのいのちの幸いを、心から願うことこそ、最も大きな愛なのです。
神の独り子イエスは、十字架上で何もできませんでした。だからこそ、愛し、祈り続けられたのです。
高齢になるということは、いつも愛し、祈れるようになるということです。
できなくなることが増えれば増えるほど、祈りの時間が増えるということです。愛する時間が、愛することを願う時間が増えるということです。
私たちの本当の幸せは、何ができるということではありません。だれかより、上手に、早くできるということでもありません。私たちの本当の幸せとは、主イエスのように、十字架上で、愛し、祈り続けるということなのです。
教会は、高齢の皆様の、愛と祈りに感謝しています。身体が思い通り動かず、教会に来れなくても、教会のことを大切に思い、祈り続けてくださる皆様に支えられています。
そして、高齢の皆様こそ、希望の巡礼の道を先頭で歩んでおられます。
何があっても、どこにいても愛することができるという希望を証ししておられるからです。何もできないと思われる時、祈りという、最もすばらしい愛の業を実行できるという希望を分かち合ってくださるからです。
高齢の皆様は、教会の、世界の希望です。どうか、私たちの希望の巡礼を、高齢という恵みを分かち合いながら、導いてください。
2025/9/7 年間第23主日 ことばの祭儀、お説教
[9月7日/年間第23主日]
私たちは、10月4日まで、「すべてのいのちを守るための月間」を過ごします。そして今日は、「被造物を大切にする世界祈願日」です。
今年の、この日のための教皇メッセージのテーマは、「平和と希望の種」です。この中で、教皇レオ十四世は、すべてのいのちがともに暮らしている地球の危機について、次のように述べています。「世界各地で、わたしたちの地球が荒廃に向かっていることはもはや明らかです。至るところで生じている不正義、国際法違反、民族の権利侵害、格差、そしてそれらを生み出す貪欲が、森林破壊、環境汚染、生物多様性の喪失を引き起こしています。人間の行動がもたらした気候変動によって、極端な自然現象は頻発し、劇化しています。さらに、武力紛争が加える人間と生態系の破壊の中長期的な影響はいうまでもありません。自然破壊による打撃は、すべての人に同じように作用しているわけではない〔のです。〕正義と平和を踏みにじることは、いちばん貧しい人、もっとも隅に追いやられた人、排除された人が、もっともしわ寄せを被るのです。」私たちは今日、このことばを、自分に関わることとして、真剣に受け止めるように求められています。
主イエスは、今日の福音で言っておられます。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」主は、自分や自分の身内だけを大切にする人は、キリスト者ではないと言っておられるのです。そして、「自分の十字架を背負ってついて来る者」となるように招いておられます。「自分の十字架」とは、自分が抱えている苦難や苦労だけではありません。地球が荒廃に向かっていることに、激しい痛みを感じることです。人間の貪欲による、あらゆる暴力や自然破壊によって苦しめられている人びととともに苦しむことです。すべてのいのちの苦しみや悲しみが、自分の苦しみや悲しみになることです。イエスのもとに行くこととは、十字架につけられたイエスのもとに行くことなのです。イエスとともに歩むということは、イエスとともに、十字架を背負って、歩むことなのです。しかし、十字架を背負って歩む道は、滅びや死への道ではありません。救いといのちへの道です。希望の巡礼者である私たちにとって、十字架の道は、希望の道です。正義と平和を踏みにじられて、苦しんでいる人びととともに、正義と平和の回復を目指して歩む道だからです。十字架の後には、すべてのいのちが生きるようになる復活があるからです。
この地上では、ほんの一部の者が、あまりにも多くのいのちを犠牲にして、自分たちの欲望を満たそうとしています。決して満たされることのない欲望、満たそうとすればするほど大きくなる、欲望の奴隷となり、自然と人間の破壊の道を突き進んでいます。
破壊し尽くされたガザを思い起こす時、そう思わずにはいられません。天上への道、復活への道は、破壊への道と正反対の道です。自分のいのちを、すべてのいのちのためにささげながら、生きていく道です。すべてのいのちが、平和のうちに生きてほしいと、心から願いながら歩んでいく道です。自分だけが幸せになりたいという欲望に駆られて、先を競いながら走る道ではありません。すべてのいのちが、ともに生きる日が来るという希望を分かち合いながら、一歩一歩歩んでいく道です。だれもとり残されないように、ゆっくりと歩んでいく道です。私たち希望の巡礼者が歩んでいる道です。
今日の第二朗読は、「フィレモンへの手紙」からです。この手紙を通して、使徒パウロは、私たちに、今まで愛することができなかった人を、愛するように招いています。愛することができない人を愛することは、大きな苦しみです。十字架です。しかし、愛が広がることは喜びです。パウロは、この喜びを味わうように励ましています。今は、愛を広げることができないかもしれません。しかし、私たちは、十字架につけられたキリストのように、すべてのいのちを愛したいという希望を持つように励まされています。この希望は、十字架の道を歩むことで、必ず実現します。すべてのいのちを愛せるようになるということが、復活の恵みなのです。
最後に、前教皇フランシスコのことばを分かち合いたいと思います。「飽きられるほど繰り返し申し上げている二つの確信を、今一度述べたいと思います。ー『すべてはつながっています』、そして、『だれも独りでは救われません』。」フランシスコの、このことばを心にとめて、「すべてのいのちを守るための月間」の歩みを続けていきたいと思います。すべてのいのちが、ともに救われるという希望を分かち合いながら、希望の巡礼を続けたいと思います。
2025/8/31 年間第22主日 ことばの祭儀、お説教
[8月31日/年間第22主日]
[お説教]
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2025/10/12 年間第28主日 お説教
[10月12日/年間28主日] [お説教] 今月は、「世界宣教月間」です。そして、来週19日は、「世界宣教の日」です。 希望の巡礼者である私たちは、この世界の中で、「希望の宣教者」として歩むように召さ れています。今年の教皇メッセージで、教皇フランシスコが述べているように、...
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[主の昇天 お説教 ] 「主の昇天」の祭日は、希望の巡礼者である私たちにとって、とても大切な日です。今日は、私たちが、すべてのいのちが、希望に満たされる日です。 福音記者ルカは、主の昇天について、次のように伝えています。「イエスは…手を上げて祝福された。そして、祝福しながら〔弟...
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[6月15日/三位一体の主日] [お説教] 今日は、愛の祭日です。「三位一体」とは、愛そのものだからです。 愛こそ、神のいのち、私たちのいのちだからです。私たちは今日、三位一体という愛 に賛美と感謝をささげるために、こうして集まっています。愛といういのちを分かち合う ために、...
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〔5月4日/復活節第3主日〕 今週の福音も、復活のキリストに出会う弟子たちの姿を伝えています。復活祭を、今祝っている私たちも、復活の主に出会います。そして、復活のいのちをいただきます。 今日の福音が伝えている通り、弟子たちは、「漁に行」きました。弟子たちにとって、漁は...