[説教]
私たちは今晩、主イエスが、ご自分のすべてを与え尽くされたことを思い起こします。聖体が、私たちを「愛して、この上なく愛し」ておられる主であるということを、共同体として、ともに体験します。
私たちをこの上なく愛しておられる主は、私たちの「足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふ」いてくださる主です。私たちの前にひざまずき、私たちの疲れた足をていねいに洗い、優しくふいてくださる主です。想像してみましょう。私たちの下におられる主を想像してみましょう。
ペトロは、彼の足を洗おうとされる主に、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言いました。主は、答えられました。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる。」主は、ペトロに、そして、ここに集まっている私たちに、足を洗うことに込められた愛を、そのまま受け取りなさいと言っておられるのです。私たちは、自分が幼い時、だれかに洗ってもらったはずです。そして、最後は、きれいに洗ってもらい、ていねいにふいてもらうことを望んでいます。私たちは、だれかに洗ってもらえたから、この世界で生きることができるようになったのです。だれかに洗ってもらえるから、安心して、この世界を去ることができるのです。私たちは、生きるにしても死ぬにしても、私たちの足を洗ってくれる愛、だれかの愛を必要としているのです。キリストのからだである聖体は、私たちだれもが必要としている愛です。聖体は、私たちの足を洗ってくださるキリストです。今晩、聖体という愛を信じて、そのままいただきたいと思います。
そして、主イエスは、私たちに、「あなたがたも互いに足を洗わなければならない」と言われます。私たちも今晩、足を洗い合う聖体となるよう招かれています。お互いの愛を必要としていることを素直に認めて、キリストの愛を分かち合う共同体となるように招かれています。私たち教会は、愛であるキリストのからだです。互いに足を洗い合いたいと思います。この世界の中で、人々の足を洗い続けたいと思います。主から受けた愛という水は、たらいに満ちています。人々の前にひざまずき、この水で、人々の疲れた心を洗わせてもらうましょう。足を洗い続けるキリストのからだとして、ともに歩んでいきましょう。